トプカプ宮殿の邸宅と地方総督の宮殿とは? わかりやすく解説

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トプカプ宮殿の邸宅と地方総督の宮殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:44 UTC 版)

オスマン建築」の記事における「トプカプ宮殿の邸宅と地方総督の宮殿」の解説

メフメト2世によって建設されトプカプ宮殿は、18世紀以後増築改築繰り返されており、初期建物はほとんど残っていない。オスマン最盛期建設されたものとしては、1578年スィナンによって再建されハレム1585年にダウト・アーによって建設されたアルズ・オダ(謁見の間)などがある。貴族階級様々な要求満足するかたちで、オスマン後期になってもキョシュクは建設されつづけた後期建設されたもので最も有名なものは、1623年バグダード再征服祝ってムラト4世の命により建設されたバーダッド・キョシュクである。これは、当時宮廷建築家ハサン・アーによって設計された。元来王座の間として建設されたと推測され十字平面の上載るペンデンティヴ・ドームは黄金アラベスク模様タイル飾られ豪華なのであるが、タイルの質には、すでに芸術的衰退兆しがあることが指摘される。このほか、カラ・ムスタファ・パシャのキョシュクなどは18世紀再建されたものであるトプカプ宮殿ボスポラス海峡沿岸にたてられたキョシュクは、オスマン帝国住居建築理念体現していると言える19世紀にいたるまで、材質装飾調度品豪華さ程度はあるものの、平面的に皇帝貴族庶民の間には基本的な差異はなかった。宮殿内部空間大きさ人間的な尺度作られ決し壮大なものではなくまた、特定され目的のための部屋、という意識はほとんどなかった。住宅には居住空間としての柔軟性求められていたのであるオスマン帝国総督たちは地方において王の様に振る舞い、彼らによって、帝国勢力下にはすばらし宮殿建築残されている。アララト山の麓、ドウバヤズィト近郊1784年頃に完成した、イスハク・パシャ宮殿は、オスマン帝国から半ば独立した状態にあったクルド人知事イスハク・パシャによって築かれ宮殿であった20世紀に軍の駐屯地としても使われたこの建築複合体は、防御容易な山の頂きに建つ。全体的にオスマン建築よりも、ルーム・セルジューク朝建築様式影響が強いが、ヴァン湖にあるアクダマル島のスルブ・ハツ聖堂のような浮き彫り想起させる装飾用いられている。また、中庭向いた円柱載る3連アーチ柱廊部分には、北シリア建築影響認めることもできるハマーのアズム宮殿は、北シリア名望家アズム家のアスアド・パシャ(アサド・パシャ)によって、1742年建設され宮殿であったが、1982年シリア軍によるムスリム同胞団掃討戦によってほとんど破壊されてしまった。宮殿は逆丁字形をした謁見の間中心として構成され装飾はたいへん豪華で、ムカルナス覆われ4つの大アーチ載るドームを頂く。建築構成マムルーク朝建物影響認めることができる。同じくアスアドによって、1749年建てられダマスカスのアズム宮殿は、中央には広大な中庭を持つ形式で、これを柱廊のある大広間部屋取り囲む多彩色の石材木材使った装飾スタイルは、ハマー同様に、非常に精巧である。トプカプ宮殿と同様、部屋小さく質素で、さらに外部に対して宮殿であることの誇示はない。 ベイト・エッディーン宮殿は、アミール・バシール2世によってベイルート近郊山中に、1810年建てられた。2層2重の柱廊を持つ美し中庭を囲む形式で、アーケード八角形小柱によって支えられている。中央に泉を配置しファサードに壁嵌を穿つ方式は、サファヴィー朝ペルシア建築謁見室に類似しており、地方様式影響が、オスマン建築性質抑えている。

※この「トプカプ宮殿の邸宅と地方総督の宮殿」の解説は、「オスマン建築」の解説の一部です。
「トプカプ宮殿の邸宅と地方総督の宮殿」を含む「オスマン建築」の記事については、「オスマン建築」の概要を参照ください。

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