チーム遍歴とは? わかりやすく解説

チーム遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 04:58 UTC 版)

NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ」の記事における「チーム遍歴」の解説

1985年日本鋪道レーシングチームとして創設され以来日本の有力ロードレースチームとして知られる1990年代には、イタリア・スイス・フランスに拠点海外研修制度設けるなどヨーロッパでの活動力を入れてきた。2002年にはジュラスイスと合併し、「日本鋪道・ジュラスイス (Jura Suisse - Nippon Hoddo)」としてプロ登録した2003年9月UCITT3登録をし日本初のプロロードレースチームとなった同年10月日本鋪道NIPPOコーポレーション社名変更したことにより、チームNIPPO改称する2005年UCI制度改革を受け、コンチネンタルチームとなる。2006年は、運営体制都合コンチネンタルチーム登録を見送り全日本実業団自転車競技連盟登録の地域チームとなった2007年NIPPOコーポレーションは、プロロードレースチームエキップアサダを支援する。これによりチームNIPPO欧州組がエキップアサダ合流する形で再編されヨーロッパでの活動中心とする「NIPPOコーポレーション梅丹本舗エキップアサダ」と、日本国内活動する若手主体の「チームNIPPOコーポレーション・コルナゴ」となった2008年にはエンデカのチームマネジャー・シモーネ・モーリの共同運営実績基礎として、両者合流する形でチームNIPPO・エンデカ発足した。また若手主体の「チーム・コルナゴ」も実業団登録として活動2009年には「チームNIPPO」「チームNIPPO・エンデカ」「チーム・コルナゴ」の3チーム統合しメインスポンサーコルナゴ迎えてチームNIPPOコルナゴとして活動2010年は再びUCIコンチネンタル登録をしチームNIPPOとして活動する。また若手育成の為、U-23チームチームユーラシア株式会社NIPPOとムセーウ・バイクのサポートを受けベルギー拠点活動開始した2011年イタリア建設会社、ダンジェロ&アンティヌウッチをメインスポンサーとするイタリア籍のチームとして登録。日本含めたアジアツアーヨーロッパツアーアメリカツアー参戦自転車長年使用してきたコルナゴからダニーロ・ディルーカイタリア新興メーカーキクロス(KYKLOS)に変わった2012年はダンジェロ&アンティヌウッチが抜けてチームNIPPOとして活動した監督大門宏と、かつて2000年ツール・ド・フランスマイヨ・ジョーヌ着用したアルベルト・エッリである。 2013年イタリア自転車メーカーウーゴ・デ・ローザ・エ・フィーリ(De Rosa)がセカンドスポンサーになりチームNIPPO・デローザとして活動したUCIアジアツアーチームランキングでは2位につけ、チームエースジュリアン・アレドンドUCIアジアツアー年間チャンピオン輝いた2014年イタリアのワインメーカー、ファルネーゼメインスポンサー迎えヴィーニファンティーニ・NIPPOとして活動アジアツアーヨーロッパツアー中心に参戦また、アジアチームとして初めて「MPCC(信用ある自転車競技目指す運動)」に加入しドーピング等の不正を許さないとする姿勢示した2015年からイタリア登録のプロフェッショナルコンチネンタルチームNIPPO・ヴィーニファンティーニとして活動するダミアーノ・クネゴチームキャプテン迎えヨーロッパ拠点UCIワールドツアーを含む世界のトップレースで戦う。NIPPO同時にニュージーランド籍のコンチネンタルチームチャンピオンシステム結成しサテライトチームとして支援する2017年ルーマニア選手権個人タイムトライアルにてエドワード・グロスが優勝。ジャパンカップサイクルロードレースではマルコ・カノラがクリテリウムとロードレース両方制し大会初となる2冠を達成した2018年イタリア精肉会社エウローパ・オヴィーニ (Europa Ovini) がスポンサー加わりチーム名NIPPO・ヴィーニファンティーニ・エウローパオヴィーニとなったティレーノ〜アドリアティコにてニコラ・バジオーリが山岳賞獲得ルーマニア選手権ロードレース個人タイムトライアルにてエドワード・グロスが優勝2019年イタリアプラスチック加工会社ファイザネ(FAIZANE)がスポンサー加わりNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネとなる。3年ぶりの参戦となったジロ・デ・イタリア2019では、第18ステージにおいてダミアーノ・チーマ逃げ切ってステージ優勝チームにとってグランツール勝利をもたらし総合フーガ賞(大会期間中合計で最も長い距離を逃げた選手贈られる賞典)も獲得している。また、グランツール初参となった初山翔第3ステージ144キロ単独逃げてフーガ賞を獲得するなど、総合では142位と最下位での完走ながらも果敢な走りイタリア国内での注目集め主催者計らい特別に最下位完走者の証「マリア・ネラ(黒いジャージ)」を贈られた。 7月16日ガゼッタ・デッロ・スポルト2019年をもってチーム解散することを報じた

※この「チーム遍歴」の解説は、「NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ」の解説の一部です。
「チーム遍歴」を含む「NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ」の記事については、「NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ」の概要を参照ください。

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