ダム完成後の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 13:50 UTC 版)
4か所の取水口から1日最大26,881立方メートルが取水され約5万人分の水が確保された。川下川貯水池の完成は給水の安定と水質特にフッ素濃度の「より安全な基準」を達成した。昭和62年の時点で市内の平均フッ素濃度は約0.4ppmで推移しており、昭和49年に定めた暫定基準を達成している。また従来の玉瀬ダムと貯水池は新しいダム湖に水没して役目を終え、玉瀬ダムが上水を供給していたエリアの給水は川下川ダムからの給水に切り替えられた。
※この「ダム完成後の状況」の解説は、「川下川ダム」の解説の一部です。
「ダム完成後の状況」を含む「川下川ダム」の記事については、「川下川ダム」の概要を参照ください。
ダム完成後の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 23:55 UTC 版)
「丸山ダム (兵庫県)」の記事における「ダム完成後の状況」の解説
貯水池の水はダムのすぐ下流に新設された丸山浄水場から市内に送られ、従来の簡易水道は順次廃止されていった。貯水池から最も遠い生瀬地区には昭和55年(1980年)1月に配水されるようになり、生瀬浄水場で行われていたフッ素除去装置の運転を休止した。これで西宮市の斑状歯問題は根本的に解決したが、同じ問題を抱えていた宝塚市は西宮市より少し早く昭和52年(1977年)に、市北部に川下川ダムを完成させて斑状歯問題を終結させている。貯水池周辺には完成直後から市民や水道局が桜を植えて、西宮市の桜の名所として市民に親しまれている。貯水池を横断している阪神高速道路北神戸線は、橋全体をドーム状に囲って路面の排水が水源に流入しない構造になっている。 中国縦貫自動車道の西宮北インターチェンジは昭和50年(1975年)本格稼働した。新駅の西宮名塩駅を含む福知山線の複線電化工事は昭和61年(1986年)に三田駅まで開通した。西宮北部の人口は平成12年(2000年)で39,665人、平成30年(2018年)で43,614人と増え続け(データは西宮市の町別推計人口より)ダム計画時の4倍以上に達しており、丸山ダム建設の目的は達せられたと言える。しかし丸山ダムの計画時には1人1日当たりの最大使用量を360リットルと見積もっていたが、その後使用量は増えてゆき平成4年(1992年)の計画では1人1日あたりの最大使用料を640リットル、計画給水人口を55,000人、計画給水量1日最大35,200立方メートルと見積もった。同時に丸山貯水池の計画給水量を1日最大15,670立方メートルに見直し、不足する分を一庫ダムを水源とする兵庫県水道から供給を受けることとした。
※この「ダム完成後の状況」の解説は、「丸山ダム (兵庫県)」の解説の一部です。
「ダム完成後の状況」を含む「丸山ダム (兵庫県)」の記事については、「丸山ダム (兵庫県)」の概要を参照ください。
- ダム完成後の状況のページへのリンク