タラホーマ、チカマウガおよびチャタヌーガとは? わかりやすく解説

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タラホーマ、チカマウガおよびチャタヌーガ (1863年6月-12月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:18 UTC 版)

西部戦線 (南北戦争)」の記事における「タラホーマ、チカマウガおよびチャタヌーガ (1863年6月-12月)」の解説

ローズクランズはストーンズリバーの戦いでの勝利の後、マーフリーズバラをほぼ6ヶ月占領しブラッグはタラホーマにあって後方戦略的に重要なチャタヌーガ市を北軍から守るために長い防衛線を布いていた。1863年4月北軍のエイベル・ストレイト大佐指揮する騎兵隊中央テネシーブラッグ軍に物資補給している鉄道攻撃動きブラッグ軍をジョージア州まで撤退させることを期待していた。ストレイトの騎兵隊ミシシッピからアラバマ荒らし回りネイサン・ベッドフォード・フォレスト部隊対抗した。ストレイトの襲撃5月3日ジョージア州ローム近く疲れ切った部隊降伏した時に終わった6月、ローズクランズは遂にブラッグに対して動きタラホーマ方面作戦では輝かしいほとんど無血勝利を挙げブラッグ軍を中央テネシーから追い出したこの期間、南軍ジョン・ハント・モーガンが2,460名の騎兵隊率いて6月11日中央テネシースパルタから西に乗り入れノックスビル向けて動いているアンブローズ・バーンサイドオハイオ軍注意テネシー州南部にいる南軍から逸らさせようとしていた。タラホーマ方面作戦開始時点モーガンは北に進軍したモーガン隊は46日間で1,000マイル (1,600 km)を乗り回しテネシーから北のオハイオまで鉄道政府倉庫破壊した後に捕獲された。11月モーガン隊はオハイオ州コロンバス刑務所から大胆な脱走成し遂げ南部帰還した。 ローズクランズはタラホーマで数週間過ごした後、テネシー川渡り南に向かって南軍ジョージア州からの補給線遮断することで、ブラッグ軍をチャタヌーガから追い出す作戦立てた。ローズクランズは8月18日行動開始し陽動作戦としてチャタヌーガ2週間砲撃加えたアメリカ連合国の上層部はミシシッピ師団バージニアジェイムズ・ロングストリート軍団送ってブラッグ軍を補強した。ローズクランズはブラッグ軍をジョージア州北西部の岩だらけの山岳地帯追って行ったが、そこでは罠が仕掛けられているだけだったブラッグ9月19日から20日にかけてチカマウガの戦い仕掛けジョージ・ヘンリー・トーマス軍団に対して3個師団総攻撃掛けさせた。北軍応援到着したときに指揮系統誤解前線大きな隙間生じロングストリートはその隙に付け込んで北軍撤退させた。トーマス配置していた防衛的部隊(「チカマウガの岩」)がいなければ北軍総崩れになっていたはずである。ローズクランズはこの敗北落胆し、軍をチカマウガまで退いたが、これをブラッグ軍が包囲し、町を見下ろす高台占領したグラントビックスバーグで兵を休ませ、次にモービル占領して東に進む作戦練っていた。しかし、カンバーランドにいるローズクランズ軍のひどい苦境報せワシントン入りグラントは彼らを救援する命令受けた10月17日グラントミシシッピ方面軍全軍指揮権与えられ西部戦線全軍支配下置いたグラントはローズクランズをトーマス置き換えチャタヌーガ行って補給物資援軍を得るために新し補給線(「クラッカー・ライン」)を開く計画承認した間もなくシャーマンジョセフ・フッカー指揮する40,000名以上の部隊合流した北軍脹れ上がる一方で南軍縮小したブラッグロングストリート軍団ノックスビル派遣してバーンサイド軍の前進抑えさせた(ノックスビル方面作戦)。 11月24日早朝第三次チャタヌーガの戦い始まったフッカー市内でも高い2つの山の1つルックアウト山に陣取った翌日グラントはもう1つの山、ミッショナリ・リッジにいるブラッグ軍を2重に包囲する作戦立てたシャーマン北から攻撃しフッカーは南から向かいトーマス中央抑えるという作戦だった。しかし、シャーマン攻撃混乱の中で動き取れなくなったので、グラントシャーマン軍を救うために陽動作戦としてトーマス軍に小さな攻撃掛けるよう命じたトーマス軍隊チカマウガ惨めな思いをしていた後だけに、その付け取り戻す機会捉えて意気上がり尾根駆け上がって最初の攻撃続け南軍前線突破して後退追い遣ったチャタヌーガ救われノックスビルでもロングストリートバーンサイド敗れていた。政治的に敏感なテネシー州東部南軍支配から解放された。アトランタひいてはアメリカ連合国心臓部直接向いた進入路開けたブラッグアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィス個人的な繋がりがあり、ペリービルやストーンズリバー敗れた後も指揮官位置に留まっていたが、ここにきて解任されジョセフ・ジョンストンが後を継いだ

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