タイ王妃へとは? わかりやすく解説

タイ王妃へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:12 UTC 版)

シリキット」の記事における「タイ王妃へ」の解説

フランス留学中のシリキットは、学業のために滞在していたプミポン国王出会う音楽と芸術興味があった国王頼みピアノ演奏行った1949年7月19日プミポン国王との婚約発表され1950年結婚。モムラーチャウォン・シリキット・キティヤーコーン (มรว. สิริกิติ์ กิติยากร) が以前正式名称であったが、1954年プーミポン王仏教界に出家して一時的に公務除いたので摂政となり、ソムデットプラナーンチャーオ・シリキット・プラボロムラーチニーナート ( สมเด็จพระนางเจ้า สิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ[ヘルプ/ファイル]) が正式名称となった今でもその呼称正式名称として使われている。 なお一部日本語メディア使われる「シリキ」という表記原語の สิริกิติ์ の ติ์ の文字無音記号使われているためであるが、この場合発音するので「シリキット」の表記正しい。 〈歴代呼称〉 シリキット・キティヤコーン(1932年8月12日1950年4月28日) シリキット妃(1950年4月28日1950年5月5日) シリキット王妃(1950年5月5日1956年12月5日) シリキット(摂政)王妃(1956年12月5日2016年10月13日) シリキット王太后(2016年10月13日〜現在) 1954年以来タイ赤十字総裁務める。 プミポン国王がよく行われていた地方視察にも 積極的に足を運び、いつも笑顔気安く振る舞う王妃の姿には、国民からの人気は、高かった誕生日である8月12日国内祝日指定されており、また、タイにおける「母の日」でもある。 日本とも関係が深く1963年5月プミポン国王と共に日本公式訪問した。この訪問とは別に1981年5月1993年4月1997年9月日本非公式訪問している。 また、2011年東日本大地震ときには国王とともに2600万円寄付をした。王妃の孫にあたるプム・ジェンセンは、2004年スマトラ島沖地震亡くなっており、その際日本復興支援に力を尽くした恩返しという意味合いのもとで寄付した。 以下の記念紙幣肖像使用されている。 1992年 - 1000バーツ生誕60周年2000年 - 50バーツ50バーツ結婚50周年2004年 - 100バーツ生誕72周年2012年 - 80バーツ生誕80周年2016年 - 500バーツ(生誕84周年)

※この「タイ王妃へ」の解説は、「シリキット」の解説の一部です。
「タイ王妃へ」を含む「シリキット」の記事については、「シリキット」の概要を参照ください。

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