ソーントン夫人のマッチレースとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ソーントン夫人のマッチレースの意味・解説 

ソーントン夫人のマッチレース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:24 UTC 版)

ヨーク競馬場」の記事における「ソーントン夫人のマッチレース」の解説

1804年8月25日ヨーク競馬場10万人の観客集めて行われたマッチレースは、史上最も有名なレースのひとつとされている。 マッチレース乗る一方当事者はアリシア・ソーントン夫人(Mrs.Alicia Thornton)といい、22歳美しい女性である。女が本物競馬場マッチレースをやる、という話はイギリス中の関心集め8月25日レース当日には10万人が押し寄せたジムクラックエクリプス走った時の10倍もの観客だったという。あまりにも観客多かったので急遽、第6軽騎兵隊が招集され警備当てられた。観客賭け総額20ポンド膨れ上がり事前試走夫人が完全な全力疾走をさせることができることがわかると、夫人のほうが人気になったソーントン夫人対戦相手はウィリアム・フリント大尉といい、夫人の姉の夫、義理の兄である。二人普段から一緒に馬に乗って猟に出かける間柄だったが、ある時どちらの馬が早いかめぐって言い争いになり、それでは競走してみようということになった。2回対戦して2回ともソーントン夫人勝ったフリント大尉は、ちゃんとした競馬場で金をかけて勝負しようと言ったフリント大尉ソーントン夫人怖気づく踏んでいたが、ソーントン夫人はその勝負を受け、ヨーク競馬場の2マイルコースで争うことになったのだったスタート地点現れソーントン夫人は、ヒョウ柄黄色乗馬服に青い袖のシャツ着て帽子も青で揃えた艶やかな姿で、競馬場観客魅了した。これに対してフリント大尉全身真っ白の冴えない格好だった。土壇場になってフリント大尉ソーントン夫人貴婦人向きの「横乗り」で乗るように要求した。それだと利き腕で鞭を扱えなくなるが、ソーントン夫人要求受け入れてその場横乗り用の鞍につけかえ勝負臨んだスタートするソーントン夫人先行し残り1マイルのあたりでフリント大尉仕掛けて先へ出たソーントン夫人自分の馬を追いだそうとした途端、鞍がはずれて人馬ともに転倒したフリント大尉落馬した夫人助けようともせずゴールして勝負勝った夫人の方は怪我もなく、心配して駆けつけ観客ジョーク飛ばして笑わせた。 このレース数日後ソーントン夫人何者かが横乗り用の鞍に細工をしていたこと、スタート間際になって急にフリント大尉横乗り要求したことは不当だと言って新聞訴え再戦申し込んだフリント大尉のほうは逆にソーントン夫妻負けたのに賭け金払わないと言って訴えた大尉言い分では、事前に取り決めた賭け金1500ポンドだったと主張しソーントン夫人の夫が500ポンドしか支払わず残り1000ポンド未払いと言ったソーントン氏は、「1500ポンド」というのは観客集めるために吹聴しただけで、実際500ポンド約束だったと主張したソーントン氏は、1500ポンドもの大金賭けわけがないだろう、冗談に決まってるだろうと言ったが、これは世間顰蹙をかった。 結局両者再戦実現しなかったが、かわりにブロムフォード氏という男性ソーントン夫人勝負したいと現れた。ブロムフォード氏の出した条件は2マイル2回戦で、1走目と2走目は別の馬に乗るというものだったソーントン夫人がこの勝負を受け、1805年の夏にヨーク競馬場で再びソーントン夫人のマッチレースが実現した賭けられたのは全部金貨1100フランスワイン大樽4つ金貨2000当の値打ちがある)だった。前年同様の大観衆が集まったスタート直前になってブロムフォード氏は尻込みして騎乗とりやめたソーントン夫人は1頭で2マイル完走し、1戦目に勝った。ブロムフォード氏は2戦目の騎手代役立てたが、ブロムフォード氏が連れてきた騎手はフランシス・バックル騎手といい、19世紀イギリス最高の騎手である。バックル騎手イギリスクラシックレース27勝し、この記録150年以上破られなかったという人物で、ソーントン夫人のマッチレースに臨んだ時点で既にダービー3勝をあげていた。ソーントン夫人はこの恐るべき対戦相手にも怯まずレース臨んだこの年夫人は「横乗り」で騎乗しゴール前では2頭が並んで叩き合いになり、首の上下げゴールした判定は短首差でソーントン夫人勝利だった。当時新聞タイムズ』は「公式競馬での女性勝利史上初で、完璧な騎乗とともに永久に語り継がれるだろう」と報じた女性騎手公式戦での勝利記録1943年までソーントン夫人唯一ののだった。(ただし、このレースバックル騎手夫人よりも約22kg重かったことも付け加えておく。) しかしレースの後には不名誉な逸話残っている。観客囲まれ勝利に湧く夫妻前にフリント大尉現れ1000ポンド払え迫ったソーントン氏はにべもなく断ったが、フリント大尉公衆夫人面前ソーントン氏を口汚く罵ったうえ、持っていた鞭でソーントン氏を打ったフリント氏はその場にいたヨーク市長の命で侮辱罪傷害罪で逮捕され、獄中自殺したソーントン氏は後に夫人残したままフランスへ渡り愛人作って二度と帰ってこなかった。しかも愛人に全財産を譲ると遺言し死んだため、夫人には何も遺されなかったという。

※この「ソーントン夫人のマッチレース」の解説は、「ヨーク競馬場」の解説の一部です。
「ソーントン夫人のマッチレース」を含む「ヨーク競馬場」の記事については、「ヨーク競馬場」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ソーントン夫人のマッチレース」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ソーントン夫人のマッチレース」の関連用語

ソーントン夫人のマッチレースのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ソーントン夫人のマッチレースのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヨーク競馬場 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS