ジェームズ・リューバによる定義の分類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:02 UTC 版)
「宗教」の記事における「ジェームズ・リューバによる定義の分類」の解説
アメリカの心理学者であるジェームズ・リューバは宗教についての多数の定義を三つのグループに分類している。すなわち、主知的(intellectualistic)な観点からの定義、主情的(affectivistic)な観点からの定義、主意的あるいは実践的(voluntaristic or practical)な観点からの定義の3つである。 主知的な観点からの定義 代表例で古典的な定義の例としてはマックス・ミューラーによる「無限なるものを認知する心の能力」が挙げられる。比較的近年のそれでは、クリフォード・ギアツによる「存在の一般的秩序に関する概念の体系化」がある。 主情的な観点からの定義 シュライエルマッハー(F.E.D.)による「ひたすらなる依存感情」。マレット(Marett, R.R.)なども他の学者などにみられる合理主義な観点を批判しつつ、宗教の原型を情緒主義(emotionalism)から論じたという。 主意的あるいは実践的な観点からの定義 C.P.ティーレによる「人間の原初的、無意識的、生得的な無限感覚」というものがある。 『世界宗教事典』では上記のリューバの分類・分析を踏まえ、また、宗教を成立させている基本要素が超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)をみとめる特定の観念であることを踏まえつつ、宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団であるとまとめている。 線引きの難しさ 第三者から宗教(団体)だと見なされているが、組織自体が宗教(団体)ではない、と主張する例もある。 (阿満利麿は「教祖・経典・教団」の3要素から成り立っている宗教を「創唱宗教」と定義した。東海林克也はこれを援用して「教祖・経典・教団」から成り立ち1つの神(=超越者)を信じること」と定義したことがあるわけだが、その延長上で)靖国神社奉賛会では『宗教とは「教祖・教典・教義」の三要素を具備していなければならない』として「この定義から外れる神道は宗教ではない」という主張を展開していた時期がある。 「実践倫理宏正会」や「倫理研究所」、「モラロジー研究所」、「調和道協会」などは自らを「宗教ではない」としている。(そして、宗教法人格も取得していない。実践倫理宏正会は一般社団法人、モラロジー研究所は公益財団法人、調和道協会は公益社団法人となっている) 「崇教真光」、「世界真光文明教団」、「道ひらき」などは、(宗教法人でありながら)「宗教ではない」としている。 なお宗教に含まれる要素(あるいは要件)については、論者ごと、文献ごとに挙げているものがかなり異なる。 Jamesの文献が挙げているのは「神性: Durkheimの文献が挙げているのは「聖なるもの」 Tillichの文献が挙げているのは「信仰」 Vergoteの文献が挙げているのは「超自然的な存在」 Paul James and Peter Mandavilleの文献では「残りの人生に規範と力を与えてくれる、ある種の究極・超越なもの」
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