シーシェパード時代
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「ポール・ワトソン」の記事における「シーシェパード時代」の解説
詳細は「シーシェパード」を参照 1977年、グリーンピースを脱退したワトソンは、シーシェパードの前身となる「アースフォース(Earth Force Society)」を結成した。1978年12月、英国の作家で動物基金の代表者でもあるクリーブランド・アモリー(Cleveland Amory)から支援を得て、シーシェパード号を購入、本格的な活動を開始した。1979年3月、カナダセントローレンス湾においてアザラシ狩船に対して、シーシェパードとして初の抗議活動を行った。同年6月、海賊捕鯨船シエラ号(Sierra)に、船首に100トンのコンクリート塊を取り付けたシーシェパード号で体当たりし、航行不能に陥らせた。この事件の後、ワトソンは自らをキャプテン(船長)と呼ぶようになったが、船長の資格を得たことはない。ワトソンらの抗議行動は、捕鯨船の甲板へ物を投げる、異物をスクリューに絡ませようとする、捕鯨船への侵入、アイスランド近辺における自沈など、過激なものであり、シーシェパードはすぐに最も攻撃的な環境保護団体の一つとして知られるようになった。1993年に著した著書で、ワトソンは地球防衛戦士の教えとして、派手派手しいドラマを演出し相手を騙しなさい、信頼を得るために犠牲者のふりをしなさい、などと記した。シーシェパードの反捕鯨活動は現在アニマルプラネットで放送されているドキュメンタリー番組『クジラ戦争(Whale Wars)』として注目を集めている。 2012年3月、クロマグロ漁師から賄賂をもらっているとワトソンから非難されたマルタ首相ローレンス・ゴンジは、国会答弁でワトソンを名誉毀損で訴えると断言した。 同年5月、2002年に映画『シャークウォーター(Sharkwater)』を撮影した際にグアテマラ沖でコスタリカのサメ漁船の航行を妨害した容疑でフランクフルトにて逮捕された。身柄はコスタリカに引き渡される予定であったが、7月、保釈中にドイツから出国して所在不明となり、コスタリカの要請を受けた国際刑事警察機構(ICPO)は、ワトソンに対する国際指名手配を情報提供などを求める「青手配」から、身柄引き渡しのために逮捕を求める「赤手配」に格上げした。またICPOは、同年9月に、ポール・ワトソンの日本の調査捕鯨妨害の件についても日本の海上保安庁から要請を受けて「赤手配」をしている(後述)。 その後、約1年3ヶ月にわたり南太平洋上を航行していたとされる。2013年10月28日、日本鯨類研究所がシーシェパードに対して調査捕鯨妨害の差し止めを求めて起こした民事訴訟に出廷するため、アメリカ合衆国に入国。11月6日、シアトルの連邦高等裁判所で証言台に立った。
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