シトロエン時代
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2013年はR5カーのプジョー・208 T16の開発を担当しながら、シトロエンの招聘を受けWRC2戦にスポット参戦する。いずれもクラッシュに終わるが、2014年からシトロエンのワークスチームのレギュラーシートを確保し、シトロエン・DS3 WRCをドライブする。チーム代表イブ・マトンは「ミークの起用は賭けだった」と明かしている。2014年は開幕戦モンテカルロでのWRC初表彰台を含めて3位を4回獲得し、年間ランキング7位。ドイツでは3SSを残して総合首位に立つも自滅クラッシュし、速いが安定感に欠けるという評価を覆せなかった。 2015年のアルゼンチンにてWRC初参戦から13年、57戦目にして初優勝を果たす。英国人ドライバーのWRC優勝は2002年サファリのマクレー以来となり、優勝インタビューでは涙ぐみながら2007年に他界したマクレーに勝利を捧げた。年間ランキングは5位で、2018年まで契約を延長し、名実ともにシトロエンのエースとなる。 2016年はシトロエンが新規定のWRカー開発に専念するため、ワークス活動を1年間休止。ミークはサテライトチームのPHスポールからスポット参戦となるが、ポルトガルで2勝目、フィンランドで3勝目を獲得する。フィンランドでの勝利は、英国人ドライバーとしては初の快挙であった。 2017年、新車シトロエン・C3 WRCをドライブし、メキシコで4勝目を獲得。この時余裕の首位であった最終SSでコースアウトし、観客用駐車場を迷走した末にコースに復帰し、辛うじてリードを守り切るというドラマを演じた。その後は大転倒を繰り返すなどしてスランプに陥り、チームから一時休養を命じられる。復帰後のカタルーニャではチャンピオンであるセバスチャン・オジェを圧倒するスピードを見せ5勝目を獲得する。しかし中盤でのスランプが響き年間ランキング7位に終わった。 2018年は開幕戦モンテカルロで4位、メキシコでは3位表彰台を獲得しまずまずのスタートを切るもアクシデントやクラッシュは減らず、第6戦ポルトガルでは雑木林に転落しマシンは大破した。シトロエン陣営は安全上の予防措置という理由で第7戦以降のミークの出走予定を全て取り消した。
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シトロエン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 07:57 UTC 版)
「フランソワ・デュバル」の記事における「シトロエン時代」の解説
2005年は前年マニュファクチャラーズタイトルを獲得したシトロエンに移籍し、世界王者セバスチャン・ローブのチームメイトとしてクサラWRCで戦った。しかし好調のローブに対し、デュバルは度重なるリタイアを喫しており、トルコとアクロポリスではレギュラーから外されることとなった。そして皮肉にもチームが代役として起用したのは、デュバルのシトロエン入りと入れ替わりに引退していた二度の世界王者、カルロス・サインツだった。しかし、デュバルは復調し、ラリー・ドイチュラントにおいて、順風満帆のローブに優勝こそ阻まれたものの2位を獲得。続くラリーGBでも素晴らしい走りで2位に入った。そして同年のラリー・オーストラリアでは、ハリ・ロバンペラとマンフレッド・ストールを抑え、ついにWRCでの初優勝を手にした。
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