シトロエン放出後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 07:57 UTC 版)
「フランソワ・デュバル」の記事における「シトロエン放出後」の解説
2006年シーズンの計画ははっきりしない状態が続いていた。シトロエンは1年間参戦を休止するが、この時点で二度のタイトルを獲得していたローブは2006年シーズンはプライベーターのクロノスから参戦すると同時に、シトロエンC4 WRCの開発にも加わることになっていた。しかしデュバルはどちらの計画にも関わることはできなかった。結局2006年はシュコダ・ファビアWRCでプライベーターとしていくつかのラリーに出走した。ローカルラリーの一つであるラリー・コンドロスで勝利した。一方WRCではラリー・カタルーニャでは6位入賞を果たし、その他のイタリアとトルコでもトップテンに入るにとどまった。 資金難によって、ファビアでの2007年計画は中止せざるを得なくなったが、シーズン後半にはプライベーターのクサラWRCのステアリングを握ることになった。ラリー・ドイチュランドでは新型のC4 WRCを駆るローブに僅差の二位でフィニッシュし、初優勝以来初めて表彰台に登った。
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