サルベージ・修理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:18 UTC 版)
3月4日、大傾斜着底した神州丸をサルベージし、修理の上再び軍務に就かせる旨の命令が熱田丸に避難中の乗員に対し第1揚陸団長より発せられた。約1ヵ月後、シンガポールから日本サルヴェージ株式会社の静波丸が到着し調査にあたったが、自船の能力では浮上不可と判断。宇品の船舶司令部において協議がなされ、技師・作業員・潜水士多数を載せた日本郵船の大隅丸の派遣が決定し5月下旬に送られた。神州丸は魚雷によって右舷中央部中甲板2m下部の位置に縦横数mの破口が開き、水中聴音機の聴音棒は抜け落ち、舟艇泛水用の舷側ハッチも破損、全体の被害状況は右傾斜約45度・機関室完全水没・中甲板約70%水没・上甲板約50%水没であった。しかし幸いにも発電機室は水没しておらず、防雷隔壁は第1層こそ破られていたが第2層で浸水は食い止められていた。 サルベージはまず右舷船底のヘドロを除去し破口を木材にて密封、これは8月中旬までに完了。9月には船内の排水作業を行いつつ傾斜を復元させ23日に船体は浮上、船内の洗浄・消毒・整備を経て12月13日に総合運転試験をパスした。破口はあくまで応急修理であるため日本本土への回航は不安視されたため、12月25日にシンガポールの海軍のドック(セレタードック)に移送、約2ヶ月後に入渠し1943年(昭和18年)4月30日まで各部の補強を受けた。なお、当時セレタードックは海軍艦艇の修理で手一杯であったが、海軍に沈められた神州丸は(入渠に約2ヶ月要しているものの)優先して修理されることになっていた。 5月1日、「お色直し」がされ出渠した神州丸は生ゴム1,000t分の資源と本土帰還者を乗せた。6日、神州丸(龍城)は峯風型駆逐艦汐風に護衛されてシンガポールを出港する。12日、台湾の馬公に寄港する。佐々木船長の機転で土産としてバナナを大量に積み込んだ。14日、馬公を出発。まもなく九州の門司に到着した。似島検疫所を経て18日に宇品へ帰還したが、7月中旬から10月頃にかけて播磨造船所に入渠し修繕工事が行われている。
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