サイケデリック・ポップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/05 08:31 UTC 版)
「サイケデリック・ミュージック」の記事における「サイケデリック・ポップ」の解説
詳細は「en:Psychedelic pop」を参照 ビートルズのお蔭もあって、サイケデリックという要素はメインストリームおよび商業音楽界に広まり、ポップス業界がサイケデリック・ミュージックの影響を受け始め、ヒッピーファッションとともに、シタールやディストーションのかかったギターのサウンド、テープによるエフェクトが導入された。ザ・ビーチ・ボーイズのヒットシングル「グッド・ヴァイブレーション」はタンネリン(Tannerin、テルミンを扱いやすくした楽器)が使われており、サイケデリックな歌詞とサウンドをポップスに持ち込んだ歌の一つとされている。この流行に乗ったアメリカのポップスバンドには、エレクトリック・プルーンズ(Electric Prunes)、ストロベリー・アラーム・クロック(Strawberry Alarm Clock)、 ブルース・マグースなどがいる。また、サイケデリックなサウンドは モンキーズやレモン・パイパーズ( The Lemon Pipers)といった初期のバブルガム・ポップ(Bubblegum pop)のバンドやミュージシャンに見受けられた。スコットランドのフォークシンガーであるドノヴァンは、エレクトリックなサウンドに転向したことにより、1966年に「サンシャイン・スーパーマン」でヒットした。その曲は初期のサイケデリック・ポップのレコードの一つに数えられている。 よりポップなサイケデリックミュージックはオーストラリアやニュージーランドでもバンドが結成されるほどの人気ぶりだった。シドニーで結成されたイージービーツ(The Easybeats)は、ロンドンで『Friday on My Mind』 (1966年) をレコーディングし、世界的なヒットを起こした後、ロンドンにとどまり、1970年に解散するまで、サイケデリック気味なポップス作品を作り続けていった。クイーンズランド州ブリスベンで結成されたビージーズもイージービーツと似た道をたどり、ロンドンで自身の最初のアルバム『Bee Gees 1st』 (1967年)をレコーディングし、その後も3枚のヒットシングルを出した。彼らのサウンドはフォークおよびロックを含んでいたが、サイケデリックな要素もあり、ビートルズの影響を強く受けていた 。アデレードで結成されたザ・トワイライト(The Twilights)も、ロンドンに行き、ささやかながらもいくつかヒットを出すことになる作品をそこでレコーディングし、サイケデリック・ミュージックのシーンについて学んだ後、帰国してシタールを用いたビートルズのカバー曲を製作し、コンセプトアルバム『Once upon a Twilight』(1968年)を発表した。最も成功したとされるニュージーランドのバンドザ・ラ・デ・ダス(英語版)は、オスカー・ワイルドの同名の児童文学を題材としたサイケデリック・ポップのアルバム『The Happy Prince』(1968年)を発表するが、イギリスおよび全世界でヒットを飛ばすことはできなかった。
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