ゴシック・メタル期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 02:07 UTC 版)
「ザ・ギャザリング」の記事における「ゴシック・メタル期」の解説
1995年、アネクをリード・ボーカルとして録音されたデモは素晴らしいものであった。それまでの「ゴシック・メタル」とは、デスヴォイスにキーボードや女性コーラスなど美しい要素を加えて、叙情性を出したものの名称であった。しかし、ザ・ギャザリングの作品は、女性を「主役」に据え、ヘヴィなバックに負けない声量のある声で、堂々と引っ張る新しいスタイルのものだった。[要出典]このデモで大手センチュリー・メディア・レコードと契約が成立。代表作となるサード・アルバム『マンディリオン』が完成した。 センチュリー・メディア・レコード主宰のコンピレーション『Identity II』にも「In Motion #1」という曲が収録され、サンプル盤代わりに各国のプレスに配布された。しかしこの時、曲名が「Leaves」と誤表記されてしまった。日本ではベイエフエムの番組『Power Rock Today』でオンエアーされた。DJの伊藤政則には、ファースト・アルバム『Always...』を高評価していたこともあってか「オランダのバンドなんだけど、(サウンド)変わっちゃったなぁ」とコメントされ、雑誌での評価も80点だった。しかし、後に発売された日本盤(2曲増曲)とほとんど変わらない枚数を売り上げた。また、『マンディリオン』のオープニング曲であり、バンドの代表曲となった「Strange Machines」がシングルカットされた。 1996年、ダイナモ・オープン・エア・フェスティヴァルに出演。1年間ツアーに明け暮れた。ここでは新曲「Adrenaline」および「Third Chance」を披露。同時にフェスティヴァル出演記念のセカンド・シングル『Adrenaline/Leaves』としてリリースされた。実は、「Third Chance」は、アネクとバンドが最初に録音した曲である。しかし、「this whole world / could explode around us / will they ever know / we had a third chance」というくだりが、「第三次世界大戦を想起させて危険なのでは?」との配慮から、『マンディリオン』への収録が見送られた経緯がある。ちなみに、両曲が追加収録された日本盤の歌詞カードでも、別ヴァージョンとして再収録された 4枚目のアルバム『ナイトタイム・バーズ』でも、その「Middle 8 (Bridge)」の部分は、歌詞に載っていない。 ちなみにこの録音作業中に、隣りのスタジオで録音していたドイツのヘヴィ・ロック・バンドであるFarmer Boysよりデュエットの誘いがあり、デペッシュ・モードのカヴァー「Never Let Me Down Again」にアネクが参加した(アルバム『Countrified』に収録)。オリジナルより動きを付けたメロディが好評でシングルにもなった。 ブレイクを果たしたザ・ギャザリングは、ツアー中も休むことなく次のアルバムの曲作りを行い、また一部の曲はツアー中に録音されたという。 1997年、4枚目のアルバムに先行して発売されたシングル「The May Song」は、ヘヴィなリフが消え、3分のポップ・バラードになっていた。更に、B面曲もヘヴィ・リフは少ないゆったりした曲。しかし、発売されてみるとアルバム『ナイトタイム・バーズ』はイントロからヘヴィなリフが使われているものであった。 ツアー中には、シングル「Kevin's Telescope」リリースされ、中ヒットになっている。この曲は、珍しく割とメジャー・コード(長調)を多用したナンバーで、ゴシック独特の「暗さ」がない。B面には、初の試みとして、カヴァー2曲が収められていた。カルト的な人気を誇るゴシック・ユニットのデッド・カン・ダンスによる「In Power We Entrust The Love Advocated」と、スロウダイヴ(後のモハーヴィ3)の「When The Sun Hits」である。
※この「ゴシック・メタル期」の解説は、「ザ・ギャザリング」の解説の一部です。
「ゴシック・メタル期」を含む「ザ・ギャザリング」の記事については、「ザ・ギャザリング」の概要を参照ください。
- ゴシック・メタル期のページへのリンク