コギトエルゴスムとは? わかりやすく解説

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コギト‐エルゴ‐スム【(ラテン)cogito, ergo sum】

読み方:こぎとえるごすむ

我思う、ゆえに我あり」と訳されるすべての仮構権威排したあとで、絶対に疑いえない確実な真理として、考え我という主体存在提起したもの。デカルト言葉


我思う、ゆえに我あり

(コギトエルゴスム から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 16:01 UTC 版)

我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、: Je pense, donc je suis[1]: Cogito ergo sum: I think, therefore I am)は、デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題である。『方法序説』の他、『省察』、『哲学原理』、『真理の探究』でも類似した表現が使われているが、一様でなく、その解釈について争いがある。ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者のエティエンヌ・ド・クルセル(Étienne de Courcelles)がラテン語に訳し、デカルト自身が校閲し[2]Ego cogito, ergo sum, sive existo との表現がされている。デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』(Principia philosophiae)ではego cogito, ergo sum[3]、『省察』では、Ego sum, ego existo [4]と表現されている[5]




「我思う、ゆえに我あり」の続きの解説一覧

コギト・エルゴ・スム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 03:47 UTC 版)

省察」の記事における「コギト・エルゴ・スム」の解説

方法的懐疑経て肉体を含む全ての外的事物懐疑かけられ純化され精神だけが残りデカルトは、「私がこのように全ては偽である”と考えている間、その私自身なにものかでなければならない」、これだけは真であるといえる絶対確実なことを発見する。これが「私は考える、ゆえに私はある」Je pense, donc je suisフランス語)である。 コギト・エルゴ・スムは、方法的懐疑経て考える」たびに成立する。そして、「我思う、故に我あり」という命題明晰かつ判明知られるのである事から、その条件真理判定する一般規則として立てて、「自己の精神明晰かつ判明認知されところのものは真である」と設定する明晰判明規則

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コギト・エルゴ・スム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 09:52 UTC 版)

ルネ・デカルト」の記事における「コギト・エルゴ・スム」の解説

方法的懐疑経て肉体を含む全ての外的事物懐疑かけられ純化され精神だけが残りデカルトは、「私がこのように全ては偽である”と考えている間、その私自身なにものかでなければならない」、これだけは真であるといえる絶対確実なことを発見する。これが「私は考える、ゆえに私はある」Je pense, donc je suisフランス語)である。ちなみに有名な我思う、ゆえに我あり」コギト・エルゴ・スム cogito ergo sumラテン語)とのラテン語表現は『真理探究』でなされているが、これは第三者による訳で、デカルト自身このような表現をしたのは、後に彼がラテン語執筆した哲学原理』においてである。方法序説ラテン語訳出版され、「Ego cogito, ergo sum, sive existo 」との表現とらえている。詳細同名内部リンク参照。 コギト・エルゴ・スムは、方法的懐疑経て考える」たびに成立する。そして、「我思う、故に我あり」という命題明晰かつ判明知られるのであることから、その条件真理判定する一般規則として立てて、「自己の精神明晰かつ判明認知されところのものは真である」と設定する明晰判明規則) のちのスピノザは、コギト・エルゴ・スムは三段論法ではなくコギトスム単一命題言っているのであり、「私は思いつつ、ある」と同義であるとした。そのスピノザ解釈から、カントエルゴ不要とし(デカルト自身エルゴ不要性については考えていた)、コギト・エルゴ・スムは経験的命題であり自意識よるものだとした。

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