カール・E・ウォルツとは? わかりやすく解説

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カール・E・ウォルツ

分類:宇宙飛行士


名前:カール・E・ウォルツ(Carl E. Walz)
性別:男
国名:アメリカ
生年月日:1955年9月6日(オハイオ州クリーブランド)
所属機関:アメリカ航空宇宙局(NASA)
飛行実績:スペースシャトル計画(STS-51/ディスカバリー号)(STS-65/コロンビア号)(STS-79/アトランティス号)(STS-108/エンデバー号)、国際宇宙ステーション計画(第4次滞在クルー)

ウォルツは、高校卒業後、1977年オハイオ州ケント大学物理学部修了し1979年にジョン・キャロル大学で、固体物理学修士課程修めてます。その後1982年までカリフォルニア州マクレラン空軍基地原子力探知機による放射能サンプル分析にたずさわり、以後空軍飛行テストエンジニアなどを務めてきました1990年1月NASA宇宙飛行士抜擢されこれまでに4回の飛行実績を持つベテランです。D.バーシュと共に米国最長宇宙滞在記録(196日)を保持してます。

1.同じロケット衛星乗った宇宙飛行士はいるの?
STS-51ではF.L.カルバートソン、W.リディー、J.ニューマンD.バーシュと、STS-41では、R.リチャードR.カバナB.メルニク、T.エーカーズと、STS-65では日本向井千秋R.カバナ、J.ハルセルJrR.ヒーブL.チャオD.トーマスと、STS-79ではW.レディ、T.ウィルカット、T.エーカーズ、J.ブラハ、J.アプトS.ルシッドと、STS-108ではD.ゴーリー、M.ケリーL.ゴドウィンD.タニ、Y.I.オヌフリエンコ、D.バーシュ同乗しています。

2.宇宙どのようなことを行いどのようなことに成功しているの?
STS-51ではミッションスペシャリスト(MS)として飛行しハッブル宇宙望遠鏡修理準備船外活動(EVA)、次世代通信技術衛星(ACTS/TOS)とシャトルパレット衛星(ORFEUS/SPAS)の放出回収行いましたシャトル史上最長飛行記録樹立したSTS-65では、オービター・フライトエンジニアとして、第2次国際微小重力実験室(IML-2)の運搬素材研究生命科学研究等行いましたSTS-79では再度MS務めロシアの宇宙ステーションミール」とドッキングし食料実験機材等を移送しました。STS-108ではフライトエンジニアとして第4次国際宇宙ステーション(ISS)滞在参加しEVAISS内外補修機材フライトテスト行いました

3.どれくらい時間宇宙飛んでいるの?
ウォルツは4回の飛行と、第4次ISS滞在クルーとして合計231日の宇宙滞在行いました


カール・ウォルツ

(カール・E・ウォルツ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 19:14 UTC 版)

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カール・ウォルツ
Carl Erwin Walz
NASA宇宙飛行士
国籍 アメリカ人
現況 引退
生誕 (1955-09-06) 1955年9月6日(66歳)
アメリカ合衆国クリーブランド
他の職業 技術者
階級 アメリカ空軍大佐
宇宙滞在期間 230日13時間04分
選抜試験 1990 NASA Group
ミッション STS-51, STS-65, STS-79, STS-108, 第4次長期滞在, STS-111
記章

カール・ウォルツ(Carl Erwin Walz、1955年9月6日 - )は、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士アメリカ空軍大佐である。

現在は、オービタル・サイエンシズ社のAdvanced Programs Groupで有人宇宙飛行運用担当の副社長を務めている。かつては、ワシントンD.C.のNASA本部Exploration Systems Mission Directorateに配属されていた。また、Exploration Systems Mission DirectorateのAdvanced Capabilities Divisionで、ビジョン・フォー・スペース・エクスプロレーションのための技術開発、原子力推進、月ロボット探査等の責任者であった。

私生活

1955年9月6日にオハイオ州クリーブランドで生まれた。オハイオ州リンドハースト出身のPamela J. Gladyと結婚し、2人の子供を儲けた。趣味は、ピアノ、声楽、スポーツで、宇宙飛行士で構成されるロックンロールバンドMax Qのリードボーカルを務める。

教育

  • 1973年:リンドハーストのCharles F. Brush高校を卒業
  • 1977年:オハイオ州のケント州立大学で物理学の学士号
  • 1979年:オハイオ州のジョン・キャロル大学で固体物理学の修士号

名誉等

軍でのキャリア

1979年から1982年まで、カリフォルニア州のマクレラン空軍基地の第1155技術作戦飛行隊で、United States Atomic Energy Detection Systemからの放射性サンプルの分析を担った。翌年は、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地の空軍テストパイロット学校でフライトテストエンジニアの学習に費やした。1984年1月から1987年6月まで、エドワーズ空軍基地でF-16連合試験部隊のフライトテストエンジニアを務め、F-16Cの電子機器や武器の開発にも関わった。1987年7月から1990年6月まで、エリア51でフライトテストマネージャーを務めた。

NASAでのキャリア

1990年1月にNASAにより宇宙飛行士に選ばれ、4度の宇宙飛行を経験し、合計の宇宙滞在時間は231日間に上る。1993年のSTS-51ではミッションスペシャリスト、1994年のSTS-65ではフライトエンジニア、1996年のSTS-79ではミッションスペシャリスト、2001-2002年の国際宇宙ステーション第4次長期滞在ではフライトエンジニアを務めた。ウォルツと同僚宇宙飛行士のダニエル・バーシュは、196日間宇宙滞在のアメリカ合衆国記録を持つ。

宇宙飛行経験

1993年9月12日から22日に行われたSTS-51では、5人の乗組員がACTS衛星とシャトルパレット衛星を放出し、またドイツとアメリカ合衆国の共同科学実験を行った。ウォルツは7時間の宇宙遊泳も行い、ハッブル宇宙望遠鏡のサービスミッションで用いる道具の評価を行った。ミッション期間は、9日と22時間12分であった。

1994年7月8日から23日に行われたSTS-65は、International Microgravity Laboratory (IML-2)スペースラブモジュールの2度目の飛行となった。15日間で、7人の乗組員は微小重力下での材料学や生物学を研究する80以上の実験を行った。610万マイルを飛行して地球を236周し、スペースシャトル計画における宇宙滞在の新記録を樹立した。

1996年9月16日から26日に行われたSTS-79では、スペースシャトル・アトランティスミールとドッキングし、食糧、水、科学実験機器等が運び込まれ、NASA側の長期滞在乗組員の交代も行われた。アトランティスとミールのドッキングにより、宇宙におけるドッキングした物体の質量の新記録が作られた。

第4次長期滞在の乗組員は、2001年12月5日にSTS-108に乗って打ち上げられ、12月7日に国際宇宙ステーションとドッキングし、6.5カ月の間、滞在した。3人(アメリカ人2人、ロシア人1人)の宇宙飛行士が、ハードウェアの飛行試験、内部や外部のメンテナンス、実施する科学実験の追加等の作業を行った。乗組員は196日間を宇宙で過ごし、ウォルツとバーシュは、宇宙滞在のアメリカ合衆国記録を樹立した。ロシア製のオーラン宇宙服を着て、ウォルツは2度の合計で11時間52分の宇宙遊泳を行った。乗組員は、STS-111のミッションでスペースシャトル・エンデバーに乗って、2002年6月19日にエドワーズ空軍基地に帰還した。

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