カール・アウグスト (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 05:36 UTC 版)
| カール・アウグスト Karl August  | 
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| ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公 | |
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        ハインリヒ・クリストフ・コルベ画、1822年
        
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| 在位 | 1815年 - 1828年 | 
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| 出生 |  1757年9月3日 | 
    
| 死去 |  1828年6月14日(70歳没) | 
    
| 埋葬 |   | 
    
| 配偶者 | ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット | 
| 子女 |  カール・フリードリヒ カロリーネ・ルイーゼ カール・ベルンハルト  | 
    
| 家名 | ヴェッティン家エルンスト系 | 
| 父親 | ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世 | 
| 母親 | アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル | 
| サイン |   | 
    
カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (ドイツ語: Karl August von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1757年9月3日 - 1828年6月14日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公(在位:1758年 - 1815年)、1815年に大公に昇格し、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公(在位:1815年 - 1828年)となった。
人物
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世(ザクセン=ヴァイマル公位とザクセン=アイゼナハ公位を保持していた)と、妃アンナ・アマーリアの第1子として、ヴァイマルで誕生した。1歳の時に父が急逝したため、知的で啓蒙、進歩的、芸術を愛する女性であった母アンナ・アマーリアが摂政となって公国を統治した。1771年より幼いカール・アウグストの家庭教師となったのは、クリストフ・マルティン・ヴィーラントであった。
1774年、カール・アウグストの実弟フリードリヒ・フェルディナントの家庭教師となったのは、詩人クネーベルであった。クネーベルに連れられて若い兄弟はパリへ向かい、途中のフランクフルトでゲーテを紹介された。これがカール・アウグストとゲーテの親交の始まりであった。
家族
1775年、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘、ルイーゼと結婚。7子が生まれたが、成人したのは3人である。
- カール・フリードリヒ(1783年 - 1853年) - 大公位を継承。ロシア大公女マリア・パヴロヴナと結婚。
 - カロリーネ・ルイーゼ(1786年 - 1816年) - メクレンブルク=シュヴェリーン大公の公子フリードリヒと結婚。
 - カール・ベルンハルト(1792年 - 1862年) - 軍人としてオランダ軍に所属した。ザクセン=マイニンゲン公女イーダと結婚し、8子をもうけた。
 
また、名うての女たらしとして知られ、3人の愛妾との間に5人の庶子をもうけている。
      
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出典
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