カルロス・カスターニョの失踪と死
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「コロンビア自衛軍連合」の記事における「カルロス・カスターニョの失踪と死」の解説
"Doble Cero"(2つのゼロ)或は「ロドリゴ」の別名を持った準軍組織の司令官カルロス・マウリシオ・ガルシアは1980年代以来 AUC でカスターニョと親交を深めていたが、アンティオキア地域で活動していた彼自身の独立した組織"Bloque Metro"(ブロケ・メトロ)の結成により近年不仲となり、ライバルの準軍組織司令官により AUC 主流派から撲滅され、2004年5月30日に死体で発見された。彼は AUC と麻薬密売人との親密な関係が不適切だと考えてそれに強く反対し、政府とグループの話合いにも反対していた。 元 AUC 最高司令官カルロス・カスターニョは組織から距離を置くようになったが、2004年4月16日彼自身の護衛の手か、ライバルの準軍組織の部隊か、全く別の存在かにより生命の危機に晒されたとみられる(後に殺害されたと判明)。代理の AUC 司令官はカスターニョの護衛と別の準軍組織の戦闘員との偶発的な交戦があり、彼は生きて潜伏していると信じていると主張した。 他の独立した意見の異なる派閥からの情報によれば、これは麻薬商人とその取引との関係がより親密になった AUC 最高幹部(恐らく彼自身の兄弟ビセンテ・カスターニョと「ドン・ベルナ」ことディエゴ・ムリージョ)の命令で実行され、彼とその部下を捕らえ拷問し埋めたと主張する。コロンビアの捜査官は事件の想定された地域の近くで間合せの墓と(未だ明らかにカスターニョのものではない)未確認の死体を見つけた。その同じ情報筋は捜査官が到着する前にカスターニョと他の仲間の死体が掘出され他の場所に移されたと主張する。 「カスターニョは近年次第に比較的麻薬密輸業者との癒着に批判的になり、国家との和解を望んでい」ると看做していたコロンビアの主要メディアと通信社はこのことが「和平プロセスへの潜在的打撃になる」可能性を伝えた。その結果(マンクーソや「ドン・ベルナ」などの)残りの AUC 司令官は潜在的にウリベ政権との進行中の話合いに非公開の交渉上の地位を主張するとみられている。 2004年5月12日ボゴタの刑事法廷はカルロス・カスターニョに対し1999年8月13日のコメディアンでジャーナリストのハイメ・ガルソン暗殺を指示した罪で懲役38年を宣告した。 AUC 共同設立者「カルロス・カスターニョの死」は世界的に様々な思惑の対象となった。2004年6月1日付の噂では「未確認の外交筋がAFP通信にカスターニョが米国の支援でパナマ経由でイスラエルへ拉致された」と語ったとされた。この主張に対してはまだ専門的な分析も詳細な報告もなされていない。米国、コロンビア、イスラエルの政府はこの主張を否定した。この件については他の当事者の可能性が未確認で残されている。 2006年8月、元準軍組織構成員の供述により、兄ビセンテの指示でカルロス・カスターニョが殺害されていたことが明らかになった。9月1日に白骨体が発見され、当局のDNA鑑定によりカルロスであることが確認された。
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