カブトデコム
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カブトデコム株式会社は、かつて北海道札幌市に存在した建設会社である。
- ^ a b 元・建設、不動産業カブトデコム株式会社解散を決議、特別清算申請へ負債5061億円 帝国データバンク大型倒産速報 2013年2月28日[リンク切れ]
- ^ “カブトデコム、株主総会で解散決議 負債5061億円”. 日本経済新聞. (2013年2月28日) 2013年11月19日閲覧。
- ^ “「バブルの象徴」幕引き、カブトデコム解散 参加株主は十数人”. 日本経済新聞. (2013年3月1日) 2013年11月19日閲覧。
- ^ 元・建設、不動産業【続報】カブトデコム株式会社特別清算開始決定受ける帝国データバンク2013年4月30日[リンク切れ]
- ^ “カブトデコム、特別清算の開始決定”. 日本経済新聞. (2013年4月30日) 2013年11月19日閲覧。
- ^ “拓銀 賠償総額101億円 旧経営陣13人に”. 読売新聞. (2008年1月28日). オリジナルの2014年1月4日時点におけるアーカイブ。
- 1 カブトデコムとは
- 2 カブトデコムの概要
- 3 株券
カブトデコム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:48 UTC 版)
詳細は「カブトデコム」を参照 もとは兜建設として創業されたカブトデコム(カブト)は、1988年(昭和63年)に現商号に変更。その名の通り本来は建設業だったが、土木工事から不動産の売買・賃貸へと年を追って業態が変化していった。率いていたのは44歳の若き社長・佐藤茂で、1984年頃から拓銀との人脈を形成していた。北海道の建設業者がもっぱら公共事業の受注を収益の柱とする中、カブトは「民間物件の開発提案企業」を掲げ、急成長を遂げていた。1989年に154億円だった売上高は、1990年(平成2年)には418億円、1991年(平成3年)には1,009億円と千億の大台に乗せ、株式の店頭公開も実現。1989年の初値が2,300円だったカブト株は、1990年(平成2年)に4万1,400円にまで上昇した。 同時期に進められていたのが、カブトの総力をかけた総事業費1,000億円のリゾート計画「ホテルエイペックス洞爺」であり、拓銀の全面的なバックアップがついていた。拓銀は単純な資金提供に留まらず、計画段階から行員を派遣し、リゾート会員権を拓銀傘下の「たくぎん保証」が販売保証するなど、密接な関係にあった。
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