エイブラハム・リンカーンの暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 01:10 UTC 版)
「リンカーン大統領暗殺事件」の記事における「エイブラハム・リンカーンの暗殺事件」の解説
リンカーンと妻のメアリーはローラ・キーン(英語版)主演の『われらのアメリカのいとこ』(Our American Cousin)を見ることにしていた。リンカーン夫妻は南北戦争による公的なストレスと1862年に三男ウィリアム(ウィリー・リンカーン)が死んだことによる私的なストレスを抱えていた。劇を見て精神的にリラックスしたい思いがあったリンカーン夫妻は、一緒に観劇しようと何人もの人に声をかけていたが、ことごとく断られ、ヘンリー・ラスボーン(Henry Rathbone)少佐と婚約者のクララ・ハリス(Clara Harris)のみがこの誘いを受けた。 大統領夫妻は開演後にフォード劇場に到着、ボックス席に入り、大統領が左側のロッキングチェアに座った。 リンカーンが開演に間に合わなかったのは、ホワイトハウスでミズーリ州選出議員ジョン・B・ヘンダーソン(John B. Henderson)の陳情を受けていたためであった。彼は大統領に、南北戦争においてスパイの疑いで死刑を宣告されていたジョージ・ヴォーン(George S.E. Vaughn)の恩赦を求め、それに成功した。これがリンカーンの大統領としての最後の職務になった。 午後9時ごろ、ブースはフォード劇場の裏口に到着し、この劇場で働いていた顔見知りのエドマン・スパングラー(Edmund Spangler)に自分の馬を預けた。スパングラーは、馬の手綱をもっておく仕事を劇場でピーナッツを売っていたことから「ピーナッツ」と呼ばれていたジョセフ・バロウズにゆだねた。俳優としてフォード劇場を知り尽くしていたブースはリンカーンのいるボックス席に入り込み、ドアにつっかえをした。 メアリー夫人はリンカーンが自分の手を握っていたので「ハリス嬢が見たらどう思うかしら」と夫をたしなめた。大統領は「別になんとも思わないさ」と答えたが、これが彼の最後の言葉になった。 ブースは大統領の背後に近づいて、後頭部めがけてデリンジャーピストルで銃弾を発射した。撃たれた大統領はイスに座ったまま、前のめりになった。これに気づいたラスボーンはすぐさまブースに飛びかかったが、ブースは手にもっていたナイフを振り上げてラスボーンめがけて切りつけた。一瞬ひるんだラスボーンは舞台にとびおりようとするブースを取り押さえようとした。ブースは手すりを超えて舞台に飛び降りたが、かかとについた拍車が飾りの旗にひっかかって足をとられた。不安定な姿勢ながらなんとか舞台に飛び降りたブースはナイフをかかげ、観客に向かって「シク・センペル・ティラニス(ラテン語:専制者は常にかくのごとし)」と叫んだ。これはヴァージニア州のモットーであった(このとき、彼が「南部は復讐を果たした!」とも叫んだという証言もある)。ブースはすぐにきびすを返して舞台の裏手に出て、劇場の裏口から待たせてあった馬にまたがった。観客の中でこれをすぐに追いかけたものもいたが、ブースは逃げさった後だった。ブースはヘロルドと合流すべく海軍基地の橋へ向かった。 逃走時、ブースはある時点で足の骨を折っている。一説によれば馬から転落して折ったのだが、新聞にそう書かれるとみっともないと思ったブースが「舞台に飛び降りたときに折った」としたといわれる。骨折というアクシデントはあったものの、ブースは劇場内でリンカーンを暗殺するという際どい計画をやりきった。 U.S.ニュースアンドワールドリポート紙は「もし、リンカーンが同じような傷を受けたのが現代であれば、彼が(障害が残るにせよ)命をとりとめたことは間違いない」と報じている。
※この「エイブラハム・リンカーンの暗殺事件」の解説は、「リンカーン大統領暗殺事件」の解説の一部です。
「エイブラハム・リンカーンの暗殺事件」を含む「リンカーン大統領暗殺事件」の記事については、「リンカーン大統領暗殺事件」の概要を参照ください。
- エイブラハム・リンカーンの暗殺事件のページへのリンク