エイブラハム・リンカーンの暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 18:46 UTC 版)
「アメリカ合衆国の歴史 (1849-1865)」の記事における「エイブラハム・リンカーンの暗殺」の解説
詳細は「リンカーン大統領暗殺事件」を参照 1865年4月14日、この日はリー降伏の報せがワシントンD.C.に届いてから4日後だったが、お祝い気分が首都を覆っていた。その夜、リンカーン大統領はフォード劇場での「我々アメリカの従兄弟」の観劇に臨んでいた。3幕目のときに、ジョン・ウィルクス・ブースという南軍の同調者が銃でリンカーンを撃って殺した。ブースはその現場から逃げる時に、バージニア州のモットーである「暴君はかくのごとし」(Sic semper tyrannis)と叫んだ。ブースは12日後の4月26日、バージニア州ボウリング・グリーン近くの農園で見つけられた。彼は北軍のボストン・コルベット軍曹に撃たれて殺された。ブースの共同謀議者達は軍事委員会で裁判に掛けられ、7月7日に絞首刑に処された。
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