イロコイ連邦の創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:45 UTC 版)
デガナウィダとハイアワサは、二人でカユーガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、セネカ族の5つの部族に和平の呼びかけを行った。デガナウィダはこの和平調停で構想役を務めたが、彼は言語障害があったため、ハイアワサが代理演説を行った。 インディアンのチーフ(酋長)とは調停者のことであり、「ピースメーカー」と呼ばれることもある。アメリカ北東部のインディアン国家は「ロングハウス」という議会場で「会議の火」を囲んで酋長たちが合議を行い、すべての物事を決定する完全民主主義社会であり、現在も議会制で運営されている。ハイアワサとデガナウィダはその功績によって、とくに「グレート・ピースメーカー」と呼ばれている。 デガナウィダやハイアワサは五つの部族をこの「会議の火」の周りに集結させ、歴史的な和平調停を行った。デガナウィダは彼らは「すべてきょうだいである」とし、殺し合いや頭皮の剥ぎ合い、人肉食の儀式を止めて和解し、平和のための同盟を結ぶよう呼び掛けたのである。こうしてデガナウィダとハイアワサの尽力によって、ついにカユーガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、セネカ族の5つの部族が同盟し、「フーデノサウニー(イロコイ連邦)」が成立した。 デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半にタスカローラ族(英語版)が加わって6部族連合となったのち、現在もなお強固な結束を保っている。この際取り決められた部族間の調停「イロコイ憲章」は、貝殻玉ビーズの帯を象形模様とする「ワムパム・ベルト」として記録され、現在もイロコイ連邦で大切に保管されている。
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イロコイ連邦の創設
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デガナウィダとハイアワサは、二人でカユーガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、セネカ族の5つの部族に和平の呼びかけを行った。デガナウィダはこの和平調停で構想役を務めたが、彼は言語障害があったため、ハイアワサが代理演説を行った。 インディアンのチーフ(酋長)とは調停者のことであり、「ピースメーカー」と呼ばれることもある。アメリカ北東部のインディアン国家は「ロングハウス」という議会場で「会議の火」を囲んで酋長たちが合議を行い、すべての物事を決定する完全民主主義社会であり、現在も議会制で運営されている。 デガナウィダやハイアワサは五つの部族をこの「会議の火」の周りに集結させ、歴史的な和平調停を行った。デガナウィダは彼らは「全て兄弟である」とし、殺し合いや頭皮の剥ぎ合い、人肉食の儀式を止めて和解し、平和のための同盟を結ぶよう呼び掛けたのである。 デガナウィダはエリー族、ニュートラル族にも和解を呼びかけたが、不首尾に終わった。エリー、ニュートラル両部族は1650年代にイロコイ族によって壊滅させられ、デガナウィダのワイアンドット族も、彼の死後にイロコイ族によって領土を追われ、結局彼の母親の啓示が的中することとなっている。 しかし、デガナウィダの尽力によって、ついにカユーガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、セネカ族の5つの部族が同盟し、「フーデノサウニー(イロコイ連邦)」が成立した。デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半にタスカローラ族が加わって6部族連合となったのち、現在まで強固な結束を保っている。 結成の日付は詳しく伝わっていないが、デガナウィダは五部族を一つの国とすることを説き、「平和をもたらすこと」、「強さを築くこと」、外部からの敵襲に対して対抗するために「五つの国の間で親善をつくること」の三つの目標を掲げた。会議が終わると、彼らはすべての武器を土に埋め、デガナウィダは松の木を植えた。この木は「平和の木」として知られるようになり、この一大和平を築くための酋長は「松の木の酋長たち」と名付けられ、デガナウィダはその一人となった。この際取り決められた部族間の調停「イロコイ憲章」は、貝殻玉ビーズの帯を象形模様とする「ワムパム・ベルト」として記録され、現在もイロコイ連邦で大切に保管されている。 1677年までに、イロコイ連合はおよそ16,000人から構成される一大国家となり、北アメリカのインディアン連合のなかで最大最強に発展した。デガナウィダの調停による和平は19世紀に全盛を迎えた。その後、アメリカ合衆国による領土の奪い合いが起こり、ジョージ・ワシントンをはじめとする白人入植者による虐殺を受け、徐々に数を減らすこととなった。 5部族のすべての酋長の最高会議(grand council)はオノンダーガで行われ、オノンダーガは5部族会議の中央に位置することになった。それぞれの部族は対等の発言権を持ち、戦争と平和を含む外交問題、他部族との付き合いや白人入植者との条約交渉で生かされている。デガナウィダはこうしたインディアンの平等な文化をより洗練させ、女性に参政権を与えた。イロコイ連邦の原則的な規則の多くは、デガナウィダの構想に立脚していて、その功績から彼は「グレート・ピースメーカー」とも呼ばれている。彼らの憲法と民主主義制度は入植白人たちの称賛を受け、彼らの下でこれを学んだベンジャミン・フランクリンらは、やがてイロコイ憲法を基にアメリカ合衆国憲法を創案したとされる。
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