イロコイ諸族との関係修復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/11 03:06 UTC 版)
「オールバニ会議」の記事における「イロコイ諸族との関係修復」の解説
1754年当時、イギリス本国では、ハリファックス卿(英語版)が総裁に就任した商務院が、北アメリカ重視策、対フランス優位政策を打ち出していた。植民地でのフランスとの戦争に備え、植民地の総督たちを強く促して、連帯意識、防衛意識を高めさせる目的で、1754年、オールバニで集会がもたれ、インディアンの指導者たち、植民地の首脳や代表者が、イギリス領の7植民地(ニューヨーク、マサチューセッツ湾、ニューハンプシャー、コネチカット、ロードアイランド、メリーランド、ペンシルベニア)から出席した。タスカローラ族が加わって、5民族から6民族となったイロコイ諸族は、元々はイギリス領北アメリカに友好的だったが、この当時はイギリス離れに傾いていた。イギリス商人への不満、また、イロコイ諸族に毛皮を供給するインディアンの諸族が、フランスと友好的であり、フランスとの関係を配慮したこと、フランス人宣教師の布教の影響などが理由として挙げられる。このため、いざ有事の際に、イギリスの商務院は、イロコイ諸族との同盟を復活させるよう、植民地政府に指示した。オールバニに集まった植民地首脳たちは、イロコイ諸族に物資や兵器を贈り、同盟の修復を促したが、6民族の指導者たちは、様子見の態度を見せた。イギリス植民地と比較すると、彼らとフランス系カナダ人住民との同盟は強く、毛皮貿易を通じての関係もあったため、イギリス側には侮れない存在だった。
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