イロコイ族の西部侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/17 02:17 UTC 版)
「ビーバー戦争」の記事における「イロコイ族の西部侵入」の解説
イロコイ族は北部へ攻撃を掛けるのと同じ頃に、西の五大湖地方への拡大も始めた。1650年代までにイロコイ族はバージニア植民地からセントローレンス川まで拡がる広大な領域を支配した。西部については、広い範囲で制圧行動を取った。セネカ族が先導したイロコイの戦士団はオンタリオ南部に住んでいたニュートラル族連邦をまず破壊した。ニュートラル連邦は数の上では引けをとらなかったが、ヨーロッパ製の銃がなかった。次には、エリー湖岸を領土としていたエリー族、すなわち「猫の民族」(Nation of the Cat)の大きな連邦を壊滅させた。続いてオハイオ郡にいたアルゴンキン語族のショーニー族を追い出し、現在で言うところのイリノイ郡はミシシッピ川まで支配下に置いた。 イロコイ族の拡大とオジブワ族(アニシナーベク連邦)との戦争の結果、スー族など北東部の民族はミシシッピ川を越えてグレートプレーンズまで押し出され、農耕を棄て狩猟民となった。その他の避難民は五大湖地方に溢れ、その地域に元々いた部族との争いになった。戦闘の大半はアニシナーベク連邦とイロコイ連邦の間で起こった。最後の大きな戦いはワサガ湖岸で起こったものだった。
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