「ピースメーカー」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「「ピースメーカー」」の解説
即位前に放蕩家として国内外に浮き名を流したため、イギリス史上最大の愚王となるのではと不安視されたが、実際に即位した後には外交問題を中心に活躍して有能な王であることを内外に知らしめた。 彼の9年間という短い在位期間にイギリスは昔からの敵国フランスとロシア、また東洋の新興国日本と連携関係を創ることができた。そのため「ピースメーカー」と呼ばれた。 エドワード7世にはヴィルヘルム2世の黄禍論のような人種的偏見はなかった。若い頃のインド訪問時、白人の非白人に対する横柄な態度を見て、彼は眉をひそめていた。 フランスについてはエドワード7世は若い頃から親仏派だった。最初の訪仏の際、ナポレオン3世に「貴方の国は立派な国です。私は貴方の息子になりたいです」と述べたことはよく知られている。ただ彼の親仏は母ヴィクトリア女王の親独方針に反発しての部分も大きかったようである。 一方イギリスのフランス・ロシア・日本への接近によって孤立することになったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は叔父エドワードをドイツ包囲網の中心人物と恨んでいた(ただし、ロシアとの同盟を切ったのはドイツからであり、日本に三国干渉を仕掛けるなど嫌われる行動、孤立する行動をヴィルヘルム二世は自分からとっている)。彼は1907年に宴会の席でエドワードについて「悪魔め!彼は計り知れないほど恐ろしい悪魔だ」と公言した。晩年にも回顧録の中でエドワードこそが第一次世界大戦の元凶と断じている。ヴィルヘルムによればエドワードはイギリス政府の方針に沿って行動していた立憲君主ではなく、彼独自の政治的野心で行動していた人物で、その野心のためにドイツ包囲網を築いたのだという。
※この「「ピースメーカー」」の解説は、「エドワード7世 (イギリス王)」の解説の一部です。
「「ピースメーカー」」を含む「エドワード7世 (イギリス王)」の記事については、「エドワード7世 (イギリス王)」の概要を参照ください。
- 「ピースメーカー」のページへのリンク