ロシアとの同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:23 UTC 版)
メッソナ党はハッタナ党の弱点を突き、直ちに予算執行報告書の作成を命じた。この結果、ハッタナ党政権ではほとんど思いつきで多額の支出が行われ、粉飾も行われていたこと、さらに長い政権期間中には国債残高が増大し、しかもその1/3は償還のためのものであることがすぐに明らかになった。このためリクスダーグでは債務再編が集中的に議論され、「緊縮国会」(Reduktion Riksdag)と呼ばれるほどであった。メッソナ党は債務残高を半減させることに成功し、歳入と歳出の間に一定の均衡がみられるほどになった。メッソナ党はさまざまな改革を行ったが、中でも1766年に制定された出版自由法は報道の自由を保証するもので、これは現在でもスウェーデン憲法の一部を成す基本法の一つとなっている。しかし、メッソナ党の最重要政策は、フランスの影響を減ずるためにロシア帝国との関係を強化することであった。 もはや大国ではなくなっていたものの、スウェーデンには未だ大国としての多くの責務が課せられていた。スウェーデンとの同盟は、たとえその価値が暴落していたとしても、国際社会ではそれなりに意味のあるものであったからである。これはスウェーデンが1年の半分は雪に閉ざされ実質的に不可侵となること、大陸に持つスウェーデン領ポメラニアが神聖ローマ帝国の中心部に食い込んでいること、フィンランドがロシアに与しない勢力にとってロシア帝国の首都サンクトペテルブルクを窺う拠点となることなど、地政学的な価値が極めて高いことによるものである。 このため、防衛同盟や海洋国家との通商協定締結に留め、慎重に中立を保つことは、スウェーデンの基本的な安全保障政策であり、これは元よりメッソナ党が常に重視していたことでもあった。しかし、ハッタナ党が北方におけるフランスの覇権の代弁者となっていたことから、若いメッソナ党員はフランスの影響に対抗し得る強力な相手と同盟を結ぶべきだと主張するようになった。しかし、ブリタニカ百科事典第11版によると、ロシアとの同盟は、フランスとの軍事同盟よりも危険視すべきことである。すなわち、フランスはスウェーデンに直接危険を及ぼせるほど近くはなく、フランスもスウェーデンとの同盟においてスウェーデンの勢力をできるだけ強く維持するよう注意を払っていた一方、ロシアはスウェーデンを味方につけるよりもむしろ将来支配下に置くことを目論み、古くからライバル視していたためである。ところが結局、メッソナ党はロシアと同盟を結ぶことを決定してしまう。
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