イギリス側の諜報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 15:27 UTC 版)
「スカーバラ、ハートルプールおよびウィトビー襲撃」の記事における「イギリス側の諜報」の解説
ドイツ艦隊は劣勢なので、いかなる場合でもイギリス艦隊との交戦を避けていた。しかし戦争のこの時点では、他に比べて双方の差が小さかった。後になると、さらに多くの艦船が建造され、イギリス側がさらに優位に立つこととなる。特により大規模な戦闘において、どのような場合でも決定的な役目を果たすとされた弩級戦艦の保有数は、差が開くばかりであった。しかし、常に哨戒を続けなくてはならなかったイギリス艦隊を尻目に、ドイツ艦隊はおおむね母港に留まっていた。すなわちドイツ海軍が、全艦艇の出撃準備が整ってからいつでも攻撃のタイミングを選べた一方、イギリス艦隊の一部は常に修理や補給を受けるために入港するか、任務を受けて他の海域に派遣されていたのである。開戦から数ヶ月が経過し、イギリスの艦艇は至急の修理が必要な時期を迎え、グランド・フリート(Grand Fleet)から数隻が抽出されていた。3隻の巡洋戦艦は南米に派遣されており、最新の弩級戦艦「オーディシャス」は機雷に触れて失われていた。姉妹艦の「サンダラー(HMS Thunderer (1911))」は修理中であった。 しかし、イギリス側には重要な利点が一つあった。ドイツの艦船は、暗号書に記載された3種類の主要な暗号を使用していたのである。これらの暗号書の写しは、撃沈、もしくは拿捕された船舶からドイツ側に知られることなく、イギリス側の手に渡っていた。イギリスの暗号解読班は、ドイツ軍の電文を傍受から数時間で解読できるまでになっていた。ドイツの巡洋戦艦部隊が、間もなく出航すると判断するに充分な情報は、12月14日の夕方に集まる。しかしそれは、ドイツ艦隊の全体に動員がかかる事実を示唆するものではなかった。 スカパ・フローに在泊するグランド・フリート司令官のジョン・ジェリコー(John Jellicoe, 1st Earl Jellicoe)大将は、デイビッド・ビーティー中将を巡洋戦艦「ライオン」、「クイーン・メリー」、「タイガー」、「ニュージーランド」から構成される巡洋戦艦部隊とともに派遣するよう、命令を受けた。また新鋭の弩級戦艦6隻(「キング・ジョージ5世(HMS King George V (1911))」、「エイジャックス(HMS Ajax (1911))」、「センチュリオン(HMS Centurion (1911))」、「オライオン」、「モナーク」および「コンカラー」)から構成され、ジョージ・ウォレンダー(Sir George Warrender, 7th Baronet)中将が指揮する第2戦艦部隊も随伴した。ウィリアム・グッドイナフ(William Goodenough)代将は、高速で新鋭の軽巡洋艦「サウサンプトン」、「バーミンガム」、「ファルマス」、「ノッティンガム」からなる第1軽巡洋艦戦隊の指揮を執った。 ハリッジ(Harwich)のティリット(Sir Reginald Tyrwhitt, 1st Baronet)代将には、指揮下の軽巡洋艦2隻、「オーロラ(HMS Aurora (1913))」と「アンドーンテッド(HMS Undaunted (1914))」および駆逐艦42隻を出撃させるよう命令が下る。キーズ(Roger Keyes, 1st Baron Keyes)代将は8隻の潜水艦と、指揮下の嚮導駆逐艦2隻、「ラーチャー(HMS Lurcher (1912))」と「ファイアドレイク(HMS Firedrake (1912))」を出撃させ、テルスヘリング島付近に配置し、もしドイツの艦艇が西に転じてイギリス海峡に進入するなら捕捉するよう命じられた。ジェリコーは、これらの戦力がヒッパーの部隊を迎撃するには充分でも、ドイツ艦隊の主力を相手に回すには足りないと抗議した。よってロサイスからウィリアム・ペケナム(William Christopher Pakenham)少将が指揮する第3巡洋艦戦隊の、4隻の装甲巡洋艦(「デヴォンシャー(HMS Devonshire (1904))」、「アントリム(HMS Antrim (1903))」、「アーガイル」と「ロクスバラ(HMS Roxburgh (1904))」)が戦力に加えられた。 ジェリコーはこの艦隊を集結させる場所を、ドッガー・バンクから25マイル南東の海域に求める。ドイツ艦隊の襲撃を容認し、その帰還中に捕捉しようというのであった。
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