イギリス公使パークスの内戦協力拒絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)
「鳥羽・伏見の戦い」の記事における「イギリス公使パークスの内戦協力拒絶」の解説
新政府軍は鳥羽・伏見から遠征すると東征を開始しし、東征軍先鋒参謀の長州藩士・木梨精一郎と大村藩士・渡辺清の両名が、続く戦闘で生じることが予想される新政府軍側の傷病者の手当てや病院の手配などを横浜のイギリス公使館(駐日英国大使館)へ申し込んだ。この時、イギリス公使・ハリー・パークスは「ナポレオン・ボナパルトさえ処刑されずセントヘレナ島への流刑に留まったのに、恭順・謹慎を示している無抵抗の大君殿下(徳川慶喜)を攻撃する事は、万国公法(国際法)に反する」と激昂し、新政府軍との面談を中止した。またパークスは慶喜が西洋諸国へ亡命するのも万国公法上、問題ないと話した。東征大総督府の下参謀で薩摩藩士・西郷隆盛は、このパークスの発言を伝え聞いて、愕然とした。
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