イギリスの反撃: 1776年–1777年
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詳細は「ニューヨーク・ニュージャージ方面作戦、サラトガ方面作戦、フィラデルフィア方面作戦」を参照 1776年8月、イギリス軍が逆襲に出て、ニューヨークに上陸し、この戦争全体の中でも最大の戦闘となったロングアイランドの戦いで新生間もない大陸軍と戦った。イギリス軍はニューヨーク市を占領し、ワシントン将軍を捕まえる寸前にまで行った。イギリス軍はニューヨーク市を軍事と政治の主要拠点とし、1783年のパリ条約の条件で放棄するまで保持した。ニューヨーク市から愛国者が退散し、イギリス軍が占領したことで、そこはロイヤリストの逃げ場になり、ワシントンの情報戦略の焦点にもなった。イギリス軍はニュージャージーも占領したが、ワシントンはデラウェア川を渡る急襲によってトレントンの戦いとプリンストンの戦いでイギリス軍を破り、ニュージャージーを再度確保した。この勝利に関わった兵士の数は比較的少数だったが、意気消沈しつつあった独立支持派の士気を大いに高めることになり、この戦争では象徴的な出来事になった。 サラトガ方面作戦と呼ばれることになった大きな作戦がロンドンで立てられ、カナダからハドソン川を下る軍隊がニューヨークの軍隊とオールバニで会して、ニューイングランドを孤立させ、植民地の固まりを分断させることが意図された。ジョン・バーゴイン将軍が指揮したカナダから下る軍隊は連絡と作戦がうまく行かずに、オールバニの北の深い森で立ち往生した。1777年夏のあいだにバーゴイン軍は数マイルしか進軍できず、地元民兵を集め、職業的に訓練されたアメリカ正規兵を小さな核とする勢力的には遙かに上回る大陸軍によってサラトガの戦いで圧倒された。一方ハドソン川を遡ってバーゴイン軍と会するはずだったニューヨークの軍隊は、アメリカの首都を占領することで戦争を終わらせようとフィラデルフィアに向かった。バーゴイン軍はイギリス本国に帰還する協議軍という条件で降伏に合意した。大陸会議は、捕獲した軍隊が他のイギリス軍に組み入れられて再度アメリカでの戦争に振り向けられる可能性を考慮し、降伏条件を破棄して兵士達を収監した。 サラトガで大陸軍が勝利したことで、フランスはアメリカと同盟条約を結び戦争に参入した。フランスが全面的に参戦することでアメリカ独立戦争は世界戦争の一部となり、イギリスの権力を削ぐためにスペインやオランダなどヨーロッパの海軍国が続けて参戦することになった。イギリス海軍の優位はこの時点で無効化され、戦争全体での敗戦を心配しなければならないようになった。
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