イギリスの古典主義建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:49 UTC 版)
「バロック建築」の記事における「イギリスの古典主義建築」の解説
イギリスでは、ルネサンス建築がイニゴ・ジョーンズによってもたらされ、続くクリストファー・レンによる一連の建築活動によって古典主義建築が根ざすことになる。建築の多様性はどの国の後期バロックをも特徴的づける資質ではあるが、イギリスのバロック建築ほどその様式の記述に苦しむものはなく、実際に17世紀後期から18世紀前期にいたるイギリスの古典主義建築をバロック建築と呼ぶことは、様式論としてはあまり受け入れられていない。 17世紀のイギリス建築は、清教徒革命以前以後ではっきりと区分することができる(革命以前はイニゴ・ジョーンズによる建築活動であるが、これについては北方ルネサンス建築を参照)。革命後にイギリス建築界の主導的立場に立ったのはクリストファー・レンである。彼は天文学者・数学者であり、建築的教養はイタリア滞在中にベルニーニに会ったにすぎないが、1666年のロンドン大火によって市街地が破壊されると、すぐにその再建計画を委託された。彼はここで51もの教会堂を建設しているが、その全てが彼の手によるものではない。彼が考案した教会堂は、それまでに存在した様々なプランを組み合わせたものではあるが、独創性も見られる。セント・ポール大聖堂は、当初完全な集中式バロック建築として計画されたが、様々な妥協の末に平面的にはバシリカ形式となった。しかし、ドーム部分の厳格な古典主義は、それまでのイギリス建築には全く存在しておらず、レンの革新性を物語っている。 18世紀のイギリス建築の形態は多元的であるが、その趣は硬く冷淡で、淡白な印象さえある。豪華さや偉大さを表現したイタリアやフランス、中央ヨーロッパのバロック建築とは対照的である。ジョン・ヴァンブラは18世紀初期のイギリスを代表する建築家である。彼の設計したブレンハイム宮殿は巨大な規模の建築で、主屋と翼屋を備えたパラーディオ風の構成を持っており、バロック建築特有の重量感もある。しかし、各部のデザインは調和性がなく、鈍重で面白みに欠ける。
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