アリストテレス註解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 13:38 UTC 版)
「イブン・ルシュド」の記事における「アリストテレス註解」の解説
イブン・ルシュドは現存するアリストテレスの著作ほぼすべてについて註解を書いた。例外は「政治学」についてであり、彼はそれを入手することができなかったので代わりにプラトンの『国家篇』について注釈した。彼は自らの註解を三つを小・中・大の三つのカテゴリーに分類した。『小註解』(jami)のほとんどは初期に書かれたものでアリストテレスの教説の要約が含まれている。『中註解』(talkhis)はアリストテレスの原意を明確にし、単純化するために言い換えが含まれている。中註解はアリストテレスの文意を理解することの難しさに不満を覚えたアブー・ヤアクーブ・ユースフと同様の立場にある人々のために書かれた。『大註解』(tafsirまたはsharf)は原文と各行の詳細な分析を含まれている。大註解は非常に詳細で、高度な独自の見解が含まれており、一般の読者を対象したものではなかった。 1169年以降、アブー・ヤアクーブ・ユースフの要請によるアリストテレス解釈は中註解として表された。イスラーム哲学思想界において、プロティノスの『エンネアデス』の抜粋抄訳が『アリストテレスの神学』という名で流布し、ネオ・プラトニズムの流出論がアリストテレス真正の教えであるとされていた。イブン・ルシュドもまた『形而上学中註解』においては流出論に従っていたが、アリストテレス研究から『崩壊の崩壊』以降はそれを否定し、アリストテレスの『天体について』『形而上学』Λ巻などに基づいて独自の宇宙観を立てた。 1186年より少し前に『霊魂について』、1186年以降に『分析論後書』『自然学』、1188年頃に『天体について』、1190年頃『形而上学』の大註解を完成させたと思われる。『分析論後書大註解』と『形而上学大註解』はアラビア語で現存し、他はヘブライ語及びラテン語によって現存する。 イブン・ルシュドは基本的に精確さで名高いフナイン・イブン・イスハークによる翻訳を使用しているが、他にもアラビア語翻訳を利用・参照している。イブン・イスハークによる『形而上学』翻訳はギリシャ語版のA巻を欠いており、α巻から始まっている。イブン・ルシュドは『形而上学大註解』を書くにあたりナズィーフ・イブン・ユムンによるA巻の翻訳をイブン・イスハークによる第1巻(α巻)の後ろに挿入して第2巻としている。 大註解にはアレクサンドロスやテミスティオスといった先行する注釈者からの引用が数多く含まれており、ギリシャ語原典で散逸したものもあり資料的価値も存在する。例えば、イブン・ルシュド『形而上学大註解』Λ巻の冒頭において「アレクサンドロスのΛ巻の3分の2に及ぶ注解とテミスティオスによる完全な提要を見つけたので、それを明快かつ簡潔に載せるのが良いように思える」と述べ、多くのアレクサドロスの注解を引用している。アレクサンドロスの『形而上学注解』は1-5巻までしかギリシャ語では現存しない。
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