アリストテレス註解者としてのアンモニオス
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「アンモニオス・ヘルメイウ」の記事における「アリストテレス註解者としてのアンモニオス」の解説
アンモニオスはアレクサンドリアでアリストテレス註解の伝統を確立した。それは彼の弟子であるアスクレピオス、シンプリキオス、フィロポノス、オリュンピオドロスらに伝わり、その後にはエリアス、ダヴィド、プリスキアノス、ステパノスと続いていった。 ダマスキオスは、アンモニオスはプラトンとアリストテレス両方を解説したが、後者をより多く行った、と述べている。 ザカリアスの対話において、あるキリスト教徒の人物はアンモニオスの目立った弟子ゲシオスと彼の仲間たち(おそらくアンモニオス自身も含む)と論争し、彼等がプラトンの教義に反論することに慣れている一方、自分たちをプラトンの弟子であるとし、「プラトニスト」と呼ばれることを望んでいると非難している。彼は又『ティマイオス』の宇宙論を文字通りの解釈を使い、「対話」においてアンモニオス的性格に支持された、神と世界の永遠性に関するアリストテレスの教義に対抗している。 とはいえアンモニオスはプラトンのテキストについても講義を行っている。オリュンピオドロスの『ゴルギアス注解』で9回、『パイドン注解』で3回、彼の名を引用している。いずれの場合でも最大の敬意を以て引用されている。 アリストテレスに関する講義では、アンモニオスはいくつかの重要な点でプロクロスに同意しなかったが、それでも彼に多くを負っていることを明言した。次にイアンブリコスを使用し、加えて他の注解者を利用した。例えば、『命題論注解』において彼の資料のほとんどはプロクロスの講義からであるが、それを補足するためにポルピュリオスの失われた解説があり、ほかにアレクサンドロス、アスパシオス、ヘルミナスやストア派が情報源であった。 アンモニオスの注解の手法は、用いた情報源と対するテキストによって異なっている。アスクレピオスの公開したアンモニオスの講義は、アンモニオス自身がプロクロスの講義を基にして書き下ろした『命題論注解』とは非常に異なる手順が見られる。形而上学Α-Ζ巻講義ではアンモニオスの講義の反映であるが、アスクレピオスによる作り直しであるか判断するのは困難であるが、弟子によって書き写された“師の口ずから”の講義は、最善の表現が与えられていると合理的に考えることができる。この注解の起源が講義に起源があることを示す兆候は多く、しばしば「昨日言われたこと」という語で説明が始まったり、「“我々と共に講義で学んだ医学の師アスクレピオス”が質問し“我々の哲学の師が”彼に答えた」と言われたりしている。
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