アメリカ軍による運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:54 UTC 版)
「M3 75mm対戦車自走砲」の記事における「アメリカ軍による運用」の解説
日本との戦争が間近に迫り、M3 GMCとT12は「Self-Propelled Mount」(SPM)ハーフトラックと呼ばれることになった。1941年9月、(第二)暫定SPM旅団を編成するため、これらは船でフィリピンの島々へ輸送された。フィリピンに日本軍が侵攻した際、これらの車輌は戦闘に投入され、バターン半島での戦いにおいて活躍した。後に少数の車輌が日本軍に鹵獲された。これらは1944年にアメリカ軍に対して用いられた。 1942年後期および1943年初期のチュニジア作戦中、M3 GMCはアメリカ戦車駆逐大隊において最多配備された対戦車自走砲であり、シディブジッド、カセリーヌ峠の戦いとエルゲタールでの戦闘中に有名となった。こうした戦闘で多数のM3 GMCが失われたが、アメリカ陸軍はこうした損失の内のいくらかは不適切な投入(待ち伏せを主体とした運用が前提とされたものを積極的な攻勢に使用したこと)がもたらしたと結論した。1943年7月、シチリアの作戦においてM3 GMCは対戦車自走砲の任務に再び使われた。その後、M3 GMCは戦車駆逐大隊から段階的に退役し、より本格的な戦車駆逐車であるM10 GMCと代替された。1944年のノルマンディ上陸作戦以後も一部の部隊においては装備が継続されていたが、M10の配備開始以降は損耗しても修理・再投入が行われなくなり、欧州方面では1944年末までに全車が用途廃止された。 なお、少数が特殊任務、例としてはブルターニュのシュガー特殊部隊の隊員達によって突撃砲(アサルトガン)として用いられた。 ドイツの戦車に対する投入には旧式であると考えられたものの、M3 GMCは日本軍が装備する軽戦車を破壊するには充分強力であった。そこで、M3 GMCは太平洋戦線で使用が続けられた。主な配備はアメリカ海兵隊の連隊付属の兵器中隊であり、サイパンの戦い、ペリリューの戦い、沖縄戦また、他の島嶼戦で実戦参加した。日本軍にはしばしば戦車が配備されていなかったため、ときおりM3 GMCは自走砲の一種として用いられるか、もしくは日本軍の防御陣地に対する直接砲撃を行って友軍を支援した。1945年、海兵隊で運用されるM3 GMCは105mm砲装備のM7自走砲によって代替され、太平洋戦線での運用も終了した。
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