アメリカ軍による遅延戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 08:11 UTC 版)
「アッサンピンク・クリークの戦い」の記事における「アメリカ軍による遅延戦闘」の解説
コーンウォリスは、自軍の前に、猟兵とイギリス軽歩兵隊の散兵線を布かせた。その2日前に、ワシントンはマティアス・アレクシス・ロシェ・ド・フェルモワ指揮下の部隊を、トレントンとプリンストンの中間に、イギリスの進軍を遅らせる目的で配置していた。イギリス軍が近づいてくると、フェルモワはトレントンに戻ったが、酩酊していた。このためエドワード・ハンド大佐が、その部隊の指揮を引き継いだ。 イギリス軍が射程内に入って来ると、大陸軍のライフル銃が火を吹いた。大陸軍の狙撃兵は、森や、谷や、道が曲がった部分からでさえも発砲し、イギリス軍が陣形を組もうとするたびに、後退して別の遮蔽物の陰から発砲を繰り返した。ハンドの部隊がファイブ・マイル・ランに沿った位置をあきらめざるを得なくなると、シャバコンク・クリークの南岸の、深い森に新しく陣を張った。ハンドは兵たちを茂みの中に配置した。そこは、イギリス軍が流れに架かる橋を渡ってくるときに見つけられないような守りに適した場所だった。大陸軍の狙撃兵が至近距離から銃弾を浴びせた。この激しい銃撃にイギリス軍は混乱し、大陸軍が総力を挙げて迎撃してきたと考え、陣形を組み、大砲を砲架に備えた。イギリス軍は大陸軍を見つけるべく半時間も森の中を探したが、ハンドの部隊は既に別の場所に移っていた。 午後3時までに、イギリス軍はトレントンから半マイル(約0.8キロ)のストックトン・ホロウと呼ばれる谷に着いた。その谷ではアメリカ軍がもう1線の防御線を準備していた。ワシントンは、夜になるまでイギリスを引き止めておこうとした。辺りが暗くなれば、アッサン・ピンクの南岸から大陸軍の防御線を攻撃できなくなるからだった。イギリス軍は、大砲を据えて、ハンドが布いた新しい陣地を砲撃した。ハンド隊はこれに屈して、ゆっくりとトレントンに退却したが、 帰る道すがら、建物の陰から兵たちに銃撃させた。ハンドの部隊が、アッサンピンク・クリークにやって来たところで、ドイツ人猟兵が銃剣を装着してハンドの部隊に突撃し、ハンド隊を混乱させた。その混乱状態に気がついたワシントンは、馬で橋を渡っている兵士たちの間をかきわけて行き、大陸軍砲兵隊の援護でハンドの後衛部隊を退かせ、隊列を整え直すよう大声で叫んだ。
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