大陸軍の防御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 18:09 UTC 版)
「クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い」の記事における「大陸軍の防御」の解説
ハドソン川流域の高地地域(ウェストポイントの近く)はピークスキルを本拠にするイズラエル・パットナム少将が指揮する大陸軍とニューヨーク民兵隊によって守られていた。ピークスキルから数マイル上流、ポポロペン・クリークがハドソン川に注ぐポポロペン渓谷の直ぐ上流には、イギリス海軍の艦船がハドソン川を遡ることを阻止するために川を横切る鎖が張られていた。この鎖の西端を守っていたのがモントゴメリー砦(リチャード・モントゴメリー将軍に因む命名)であり、南の渓谷を見下ろす位置にあった。やはりハドソン川の西岸で渓谷の南にはクリントン砦(おそらくジェイムズ・クリントン将軍に因む命名)を構築していた。モントゴメリー砦はこの時建設中であり、ジョージ・クリントン将軍が指揮を執り、クリントン砦はその兄であるジェイムズ・クリントン将軍が指揮していた。両砦合わせて守備隊の総勢は約600名だった。 ピークスキルにあった主要宿営地は、イギリス軍が船で行動を起こせば必ずその側を抜ける必要がある場所であり、そこにもおよそ600名が守っていた。3か所の陣地にいる兵士のうち、約1,000名は大陸軍正規兵であり、残りは短期徴兵のニューヨーク民兵だった。パットナムの部隊は元々もっと大きな軍勢だったが、ジョージ・ワシントン将軍がハウ軍に対するワシントン軍自隊の防衛と、バーゴイン軍に対するゲイツ軍の防衛のためにパットナム部隊の一部を割くよう命じており、さらにハウの動きが分かった時点で地元民兵隊の多くの兵士を解任していた。パットナムは9月29日にニューヨークに輸送船が着いたという情報を得て、クリントン知事に援助を要請する手紙を送り、クリントンは即座にキングストンから南に下って砦の指揮に就いた。
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