大陸軍の陣地強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:24 UTC 版)
「バンカーヒルの戦い」の記事における「大陸軍の陣地強化」の解説
イギリス軍の準備行動を見ていたプレスコットも援軍を要求した。援軍の中には、マサチューセッツ安全委員会の若く人望のある指導者ジョセフ・ウォーレンと、年取ったマサチューセッツ民兵隊の指導者セス・ポメロイがいた。二人とも将官に任じられていたが、歩兵として戦う道を選んだ。プレスコットはノールトン大尉率いるコネチカット軍に左翼を守るよう命じた。そこは胸壁として間に合わせの土壁があり、上部には柵と干草で覆っていた。彼らはこの土壁とプレスコットの胸壁の間に3つの小さなV字型の塹壕も構築した。この側面を補強するために到着した部隊は、第1(英語版)および第3ニューハンプシャー連隊(英語版)の約200名であり、ジョン・スターク大佐とジェームズ・リード(英語版)大佐が指揮していた。スタークの部隊は、ハウがその部隊を上陸させた後に到着し、ハウが直ぐに攻撃を仕掛けておればその利点を生かせたであろう防御の隙間を埋めるために、大陸軍陣地の北端にある塀に沿って陣取った。干潮となり半島の北に流れるミスティック川(英語版)沿いに隙間ができたので、スターク隊は直ぐにその海岸の水際まで石を使って壁を伸ばした。スタークが壁の前約100フィート(30m)に杭を立て、イギリス兵がその杭より前に来るまで銃を撃つな、と命令した。戦闘に入る直前にさらに援軍が到着した。これにはブルーワー、ジョン・ニクソン(英語版)、ベンジャミン・ラッグルズ・ウッドブリッジ(英語版)、モーゼス・リトル(英語版)各大佐およびムーア少佐(Moore)のマサチューセッツ連隊の一部が含まれ、さらにキャレンダー(Callender)の砲兵中隊もいた。 大陸軍前線の背後は混乱していた。戦闘に派遣された多くの部隊がケンブリッジからチャールズタウン・ネックを通過する前に進軍を停止していた。ここは南の砲台からの砲撃に常に曝されていた。バンカーヒルに到着した部隊もいたが、そこからどこに行くべきかが分からず辺りをうろうろしていた。この場を目撃した者の一人は「混乱がひどくなるばかりで指揮は行われていないように見えた」と記した。パットナム将軍が現場に出て事態を収拾しようとしたが、部隊の指揮官の多くは命令を誤解したか従わなかった。
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