アスパシアの評判とそれに対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:01 UTC 版)
「アスパシア」の記事における「アスパシアの評判とそれに対する評価」の解説
アスパシアの評判はペリクレスが手にした栄誉や名声と密接な関わりがある 。プルタルコスはアスパシアを政治的にも学問的にも重要な役目を担った人物と認め「ギリシャで一番の男が喜ぶような、そして哲学者たちが話題にして長々と賞賛し続けるような立ち回りをした女性」だと賞賛の意を表している。この伝記作家プルタルコスが述べるところによると、アスパシアはあまりにも有名で、ペルシア王アルタクセルクセス2世と戦争した小キュロスさえも、自身の愛人の一人で元々はミルトと呼ばれていた女性にアスパシアという名を与えたらしい。この女性はキュロス王子が戦いに勝利した際に捕らわれて国王のもとに連行され、その後国王に多大な影響を与えた人物である。 ルキアノスはアスパシアを「賢者の鏡」、「賞賛に値するオリンピアンのなかでも特に素晴らしい人物」と称し、 「彼女の政治の知識と見識、彼女の鋭く抜け目の無い様と先見の明」に賛辞を送っている。古代シリア語のとある文献には、アスパシアが演説の原稿を作成しある男に法廷でそれを読み上げるよう指示したとあり、アスパシアの修辞学における名声を立証する証拠となっている。アスパシアは10世紀にビザンツ帝国で使われていた『スーダ辞典』という百科事典の中で「語彙力の優れた」ソフィストで修辞学を教えていたと書かれている。 以上のような評価を受けて、ペンシルヴァニア州立大学教授シェリル・グレンが主張することには、どうやらアスパシアは古代ギリシアでその存在を公の場で認識されていた唯一の女性であり、ペリクレスの演説の作成にも携わっていたことは間違いないようだ。アスパシアは良家の若い女性のためにアカデミーを開いたりソクラテス式問答法を編み出したりまでしたと考える学者も居る。しかしながらノースウェスタン大学古典教授ロバート W・ウォレンスは 「アスパシアがペリクレスに演説のやり方を教え、それゆえ雄弁家や哲学者から支持されていたなどという冗談を史実と認めるわけにはいかない」と力説している。彼が言うにはプラトンがアスパシアに知的役割を与えたのは古代ギリシア喜劇を参考にしたためだという。ケーガンはアスパシアのことを「美しく、自立しており、機知に富んだ若い女性で、ギリシャで最も優れた人々と会話しても引けを取らず、どんな問題でも夫と議論し解明することができた女性」だと表現している。 古典学者でケント大学社会人類学科教授ロジャー・ジャストの考えによれば、アスパシアは例外的な人物ではあるが、アスパシアの例を見るだけでは男性並みの知性と社会的地位を手に入れられた女性がヘタイラにならなければならなかったという事実を声高らかに強調するには十分である。 哲学者そして神学校で教授を務めるシスターのプルーデンス・アレン(Prudence Allen)の話によれば、アスパシアはサッフォーの詩からひらめいて、女性たちが哲学者になる可能性を一歩前に動かしたのである。
※この「アスパシアの評判とそれに対する評価」の解説は、「アスパシア」の解説の一部です。
「アスパシアの評判とそれに対する評価」を含む「アスパシア」の記事については、「アスパシア」の概要を参照ください。
- アスパシアの評判とそれに対する評価のページへのリンク