アスパシアに関する情報の史的確証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:01 UTC 版)
「アスパシア」の記事における「アスパシアに関する情報の史的確証」の解説
オランダの歴史家ジョナ・レンダリングの指摘にある通りアスパシアに関して知られているとされることの大半はあくまでも仮説に過ぎないという大きな問題点は依然として残っている。古代ギリシアの歴史家トゥキディデス の書物にはアスパシアに関する記述は無く、文学家や哲学者など歴史考証には全く注意を払わないような人々が記した信憑性の低い表現や推測を手がかりにする他ないのが現状である。そのためアスパシアはテアノのごとき良妻だったという記述もあればタルゲリアのごとき遊女であり娼婦だったという記述もあるという風に、アスパシアの人物像にはある程度矛盾した記述も見られる。以上の理由から現在学者の間でアスパシアの生涯に関する情報の史的確実性は疑問視されている。 「現在ではアスパシアに関する歴史的事実はほとんどが確定されていないし確定出来やしない」とウォレスは語っている。このため アイオワ州立大学古典学教授マデレン・M・ヘンリー(Madeleine M. Henry)も、「古代より伝えられてきたアスパシアの生涯は脚色や誤りが含まれ酷く滅茶苦茶なものであるからほぼ完全に実証不可能であり、20世紀になってもそれらの言い伝えは変化し続けている」との見解を主張しており、最終的には「アスパシアの」生涯をほんのわずかな可能性に賭けて追跡することしかできない との結論を出した。チャールズ・W・フォルナーラ(Charles W. Fornara)と古典歴史学教授ローレン・ J・サモンズ(Loren J. Samons II)は「我々の知る限り、アスパシアの本当の姿は言い伝えによって作り上げられた彼女の人間像以上の姿なのかもしれない」と語っている。
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