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坊津

名称: 坊津
ふりがな ぼうのつ
種別 名勝
種別2:
都道府県 鹿児島県
市区町村 南さつま市坊津町
管理団体
指定年月日 2001.01.29(平成13.01.29)
指定基準 名8
特別指定年月日
追加指定年月日 平成18.07.28
解説文: 坊津の地域薩摩半島西南隅に当たり、解析谷が沈水して多くの湾や樹枝状の入江大小島嶼岩礁などが発達した顕著なリアス式海岸形成している。それらの内湾のうち、坊浦や泊浦古くから遣唐使船の寄港地として有名で、その北側位置する秋目浦は鑑真和上上陸した場所としても名を馳せた
 しかし、坊津が海岸美し景勝地として注目されるうになるのは、16世紀末期のことである。豊臣秀吉対立して文禄3年(1594)に坊津に配流された近衛信輔は、坊津海岸八つ景勝地からなる坊津八景」を選んで和歌詠んでいる。天保14年(1843)に薩摩藩島津斉興五代秀尭を総裁として橋口兼柄らに命じて編纂した三国名勝図会』によると、近衛信輔選んだ坊津八景」の詩題とは、「中島晴嵐」「深浦夜雨」「松山晩鐘」「亀浦帰帆」「鶴崎暮雪」「網代夕照」「御崎秋月」「田代落雁であったことがわかる。地頭館などの集落地に近く海に向かって突き出た中島」、その内側の入江で船の係留地として使われていた「深浦」、坊浦に嘴のように岩礁細く突き出たヶ崎」、松山寺と呼ぶ禅寺存在した松山」、寺ヶ崎と硯石鼻に挟まれ小湾である「亀浦」、「網代」の浜から双剣石など経て鵜ノ島に至る岩礁群、坊岬突端円形の洞孔が開く「御崎」、坊岬東海岸入江水田展開する田代」の8箇所舞台としてそれぞれにまつわる独特の風物気象現象とともに挿図描き分けている。
 とりわけ双剣石は雌雄二石からなり大きい方の石は「高さ十五間周回二十間」、小さい方の石は「高さ十二間、周回七間」あって、両剣立てるがごとく屹立していたことが記されている。御崎円形洞孔のある岩礁周辺には、当時アシカなどの海獣群遊し、岩礁上って睡眠したことなども記されていて興味深い
 また、双剣石と御崎円形洞孔は、歌川広重(1797~1858)が晩年製作した六十余州名所図会』に収める薩摩、坊ノ浦、双剣石」にも主景として描かれている。
 このように、坊津は近世通じて薩摩地方独特の海岸風景として喧伝され名勝地誌などの記録絵画作品などにも好んで描かれたのであった。現在も双剣石を中心として、それらの文化的背景有する風景価値極めて高く継承されており、よって名勝指定し保護図ろうとするものである


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