その後・付記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 18:46 UTC 版)
「ヤングブラッズ (1960年代のバンド)」の記事における「その後・付記」の解説
1984~5年にかけてヤングブラッズ再結成全米ツアーが行われジェシ・コリン・ヤング、ジェリー・コービット、バナナ、デヴィッド・パーパー(David Perper・英語版)、スコット・ロ-レンス(Scott Lawrence)で各地を公演した。 ジョー・バウアーは1982年9月脳腫瘍で死去した(40歳没)。日本では当時麻薬中毒死と誤って報道された。ジェリー・コービットは2014年3月8日肺がんで死去(71歳没)。カントリー・ミュージックのチャーリー・ダニエルズとは関係が深く合名のライブ・アルバムとソロアルバムのプロデュースを依頼したり互いのアルバムやステージにゲスト参加している。ジェシ・コリン・ヤングは引き続きソロ活動に農園経営を始めたが1995年カリフォルニア州インバレンス公園(Inverness Park)を襲った森林火災で焼き出されハワイ州ハワイ島ケアラケクア(Kealakekua・英語版)に転住し音楽活動とコーヒー農園を営んでいる。バナナは解散後ミミ・ファリーニャ(英語版)の伴奏を長く務めおもにカントリーロックやブルーグラスの範囲でセッションやツアーのミュージシャンとしてライ・クーダー、ダン・ヒックス・アンド・ホットリックスなど、ニューヨークで活動時代の仲間デヴィッド・グリスマンのセッションに参加し、現在(2016年)、カリフォルニア州インヴァーネス(Inverness)に居住している。 ヤングブラッズはフォークから1970年代シンガーソングライター・ブームへと橋渡しをしたバンドやミュージシャンの一つとなった。結成前から終焉と活動経過に、ジェシ・コリン・ヤングと同一視したソロキャリアの一部と捉える誤解は多く、ニューヨークの他フォークロックバンドにみられた リズム・アンド・ブルースやブルーグラスの影響、その後「エレファント・マウンテン」以降強めたジャズ風のアレンジなどジェリー・コービット、ジョー・バウアーにバナナの貢献が無ければ成立せずヤングの作曲センスやカバー曲の選択は個性的で1970年代のAORなどに影響を与えた。 ヤングの1964年ソロ作と最初のアルバムに収録した「朝の四人(Four In The Morning)※1969年当時の邦題。午前4時の意。」、二枚目「アース・ミュージック」の「ユフォーリア(Euphoria)」の作者ロビン・リマイリー(Robin George Remailly)はその後1970年ホリー・モダル・ラウンダーズ(The Holy Modal Rounders(英語版))に参加する。「ユフォーリア」は加入前のグループが1964年に、「Four In The Morning」はヤングのソロ作とヤングブラッズがメジャー初公開でヤングのステージでは頻繁に演奏され現在(2015年)に至る(この模様はYouTubeなどで見ることが出来る)。「Four In The Morning」はヤングブラッズのアレンジを元にロサンゼルスのフォークロックバンド、サンシャイン・カンパニー(Sunshine Company・英語版)がカバー、1967年一枚目アルバム「ハッピー・イズ(Happy Is the Sunshine Company)」に収められた。
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