その後・秋田港防波堤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 22:15 UTC 版)
「伊唐 (海防艦)」の記事における「その後・秋田港防波堤」の解説
1945年(昭和20年)12月下旬には乗員及び修理要員が伊唐を離れた。1947年(昭和22年)2月1日時点で、七尾港岸壁で兵器・備品を取り外した状態で座礁し浸水状態にあり、舞鶴地方復員局所管の行動不能艦艇(特)に定められる。同月、伊唐は浮揚された。 5月3日、行動不能艦艇(特)の定めを解かれ、船体以外の解体工事を行った。船体は1948年(昭和23年)6月30日に秋田県秋田港の防波堤として沈艦式が行われ、樅型駆逐艦竹、橘型駆逐艦栃(終戦時未成)と共に軍艦防波堤となり秋田港北防波堤となった。 1975年(昭和50年)、秋田港の外港展開に伴う港拡張工事により新しく北防波堤を築造することになり、旧来の北防波堤は撤去され、伊唐、栃、竹の船体も撤去された。
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