その他の天文学上の業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:10 UTC 版)
「ウィリアム・ハーシェル」の記事における「その他の天文学上の業績」の解説
ハーシェルは後半生に土星の2個の衛星、ミマスとエンケラドゥスを発見し、天王星の衛星チタニアとオベロンも発見している。これらの衛星の名前はハーシェル自身によってではなく、息子のジョン・ハーシェルによってウィリアムの死後の1847年と1852年にそれぞれ命名された。 ハーシェルは星雲の大規模なカタログを編纂する仕事にも取り組んだ。また、二重星の研究も続け、二重星の多くがそれまで考えられていたような見かけの二重星ではなく、実際に連星であることを最初に発見した。このことは、天体のケプラー運動が太陽系外でも成立していることを示唆した先がけであった。 恒星の固有運動の研究から、ハーシェルは我々の太陽系が宇宙空間の中を運動していることに初めて気づき、その運動のおよその方向を求めた。また、天の川の構造を研究し、天の川を構成する星々が円盤状に分布することを明らかにした。天の川を直径約6,000光年、厚み1,100光年とし、太陽がほぼ中心に位置していると考えた。ハーシェルの天の川銀河のモデルは、すべての恒星の実際の光度が皆等しく見かけの光度がその星までの距離のみに依存する(距離の二乗に逆比例)と仮定し、また比較的明るい星のみを数えたので、現在知られている天の川銀河の直径(約10万光年)の約20分の1のサイズとなった。ハーシェル自身は天の川銀河(=当時認識では全宇宙)の大きさを絶対的な距離では表現しておらず、全天で一番明るい、したがって「すべての星の実際の光度は同じ」という仮定の下では太陽系に一番近いことになるシリウスまで距離を単位として、直径850、厚み155とした。現在では、もちろんハーシェルが彼の宇宙モデルの基礎にした「すべての星の実際の光度は同じ」や恒星の空間密度分布が一様であるという仮定は誤りであることが知られている。しかし、当時は個々の星までの正確な距離や実際の光度が知られていなかったにも関わらず、夜空を600以上の区画に分けて見える星の数と明るさを記録するという地道で根気のいる作業で定量的に解析した成果であり、現在でも天の川銀河の形状などを解説するときに必ず引き合いに出される偉大な業績である。 ハーシェルはまた「星のような」を意味する asteroid という語を発明した(これはギリシャ語の asteroeides に由来し、aster は「星」、-eidos は「形」を意味する)。1802年に惑星の衛星や小惑星が恒星に似た点光源的な様態を示すことを表す際にこの語を用いた(これに対して惑星は全て円盤状に見える)。この年の3月にはヴィルヘルム・オルバースが歴史上2個目の小惑星であるパラスを発見している。 ハーシェルは数多くの重要な科学的発見を行なったが、反面、荒唐無稽な推測も嫌うことがなかった。ハーシェルは、全ての惑星、さらには太陽にすら生命はもちろん文明が存在すると考えていた。太陽は低温の固い表面を持ち、不透明な雲の層がこの表面を高温の大気から守っているとし、この奇妙な環境に適応した様々な生物種がその上に生息すると考えていた。またハーシェルは太陽系の惑星の配置を彼が傾倒していた音楽理論と結びつけるなど、現代の天文学以前の世代の存在であることも確かである。
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