その他の列車事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 23:00 UTC 版)
「根府川駅列車転落事故」の記事における「その他の列車事故」の解説
事故に遭った第109列車と根府川駅で交換予定だった東京行上り第116列車(960形蒸気機関車979牽引)は、定刻より1分遅れで運行していた。真鶴駅を11時48分に発車した後、4つのトンネルを抜けて最後の寒ノ目山トンネル(全長約360メートル)を通過中に地震が発生した。たまたまトンネル出口から先頭の機関車が出ようとしたところで土砂崩れに遭遇して機関車が埋没してしまい、乗員2人が死亡し3人の乗客が負傷した。生き残りの職員たちは真鶴側に乗客を誘導して脱出を試みたが、トンネルを出る際に再度の土砂崩れに遭遇して職員2名(もしくは4名)、乗客若干名(2名とも)が不明となり、1年後に職員4名、乗客2名の遺体が発見されたという。犠牲者は出たものの、職員たちのこのときの行動は鉄道省から高く評価されて後に1人が最高額の金100円、2人が金70円の功績賞を授与されている。第116列車は、定時より遅れて運行していたことによって、第109列車と同様の事態に遭遇することを免れた。第116列車の機関車は、後に発掘されて1924年(大正13年)9月10日に湯河原まで回送されている。その後に真鶴工場で修理され、乗客の死者は出なかったため、「幸福の列車」として生存した乗務員を乗せ、熱海線全線運行再開の試運転に使われる事となった。 大正関東地震を原因とする列車事故は、熱海線の他にも東海道本線、横浜線、横須賀線、中央本線、東北本線、山手線、総武本線、常磐線、房総線(現在の外房線・内房線)などで発生した。旅客列車8、貨物列車17が脱線・転覆などの事故で焼失または破損し、焼失した車両は機関車46、客車424、電車40、貨車923の計1432両、破損した車両数は機関車60、客車62、貨車281の計403両で、焼失と破損を合計して1898両に上った。なお、死傷者の出た事故は次に挙げるものが記録されている。(第109列車と第116列車は除く) 東海道本線 大船 第605貨物列車 職員1名即死 東海道本線 藤沢-辻堂 第403貨物列車 職員1名負傷 東海道本線 平塚-大磯 第74列車 即死8名、負傷45名(職員1名含む) 横須賀線 逗子-田浦 第514列車 即死3名、負傷6名 常磐線 東信号所 第814列車 即死1名、負傷55名 なお、大船駅で第109列車を追い抜いて先行していた特急第1列車は静岡県駿東郡深良村(1956年(昭和31年)9月30日に裾野町と合併し、1971年(昭和46年)1月1日に裾野市となる)の岩波信号場付近で激しい揺れに襲われたが、被害は特になかった。信号場での待機指示を受けて3時間34分にわたって停車し、進路の被害状況(特に黄瀬川橋梁の安全)を確かめながらまずは沼津駅まで進むことに決まった。沼津駅には3時間50分の延着となったがここにもしばらく停車し、17時24分に下関に向けて発車した。通常の時刻表では沼津12時20分着、12時26分発のため、約5時間の遅れが出ていた。この特急第1列車が、関東大震災発生後に西へと向かった最初の列車であった。
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