『WOO』
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原案となった『WOO』は、円谷英二と金城哲夫が円谷プロ最初のテレビドラマとしてフジテレビに持ちこんだ企画で「ウルトラQ伝説/アスペクト刊」によると「WOO」の一番古い企画書は、昭和38年(1963年)春ごろにフジテレビに提出されたものであり、不定形の宇宙人が活躍するというもので、サンプルストーリー13本も制作されていたが、予算や技術的な問題から中止となった。フジテレビに提出された「WOO」の企画書によると、物語は故郷を失った宇宙生物・WOOが、アンドロメダ星雲から宇宙を漂流して地球に漂着。ヌード・カメラマンの秋田譲二に助けられ、ともに不可解な事件を解決してゆくというものであった。設定では、WOOはゲル状の不定形生物で、通常は「眼」しか見えていないキャラクターとされている。この番組は「円谷空想科学映画劇場」というシリーズとされていて、30分、オールフィルムで合計39本(3クール)の制作で1クールごとに主人公が変わる設定になっていた。企画書によると第1クールの主人公がWOO、第2クールではラッパー、第3クールではスペースホースと1クールごと別の主人公が設定されている。 「ファンコレNo.2/朝日ソノラマ刊」では昭和39年(1964年)4月、「WOO」はフジテレビとの契約調印の日に破談となってしまったとされ、調印の場に同席していたフジテレビの西村五州は、円谷皐に破談となった理由を「契約上のトラブル」としか伝えなかったとされている。円谷皐のインタビュー録音テープが存在しており、その中で契約が破談になった理由を契約書の「甲」「乙」の表記が、フジテレビが「甲」、東宝が「乙」になっていたことに東宝側が激怒したためだったと語っている。「WOO」の制作中止が決定したのは、昭和39年(1964年)4月以降と考えられるとされている。 『WOO』の企画書によると主要人物として、ヌードカメラマンの秋田譲二、その助手の団太郎、そして、彼らを取り巻くモデルたちが紹介されており、毎回グラマーなモデルが出演する設定になっていた。その中で実際に発表されたキャストは、番組のヒロイン(ドロシー役)となる予定だった浮須良美(うきす・よしみ)という女優だけである。彼女は、朝鮮戦争で死んだ米兵を父に持つ17才のハーフで、ファッションモデル出身の女優だった。『ウルトラマン創世記』ではキャストで決まっていたのは、主役の秋田譲二役の佐原健二だけだったと紹介されている。 円谷プロは『WOO』による収益を見込んで、当時の世界に2台しかなかったアメリカ・オックスベリー社製の高性能光学撮影機「オプチカルプリンター1200シリーズ」を企画段階で発注した。しかし企画の頓挫で支払いが不可能になったが既に輸送中のためキャンセルも出来ず、当時TBSのディレクターだった円谷一を通じてTBSに購入を肩代わりしてもらった。TBSでは機材を活用するため円谷プロとの間で企画段階だったSF特撮シリーズ『UNBALANCE』の制作を決定、タイトルを『ウルトラQ』に改めて1966年から放送し人気を博した。 その後昭和40年(1965年)晩秋、TBSは、「ウルトラQ」の放映開始を直前に控えて、新たな企画を依頼した。その時、最初に提出された企画が、フジテレビで企画された「WOO」にトップ屋集団A.G.C(アート・グラフィック・センター)という組織を加えたTBS版の「WOO」だった。この企画は、採用されなかったが、この企画が発展して『ウルトラマン』が誕生したと言われている。[要出典]この時の資料として「設定とストーリー WOO」という企画書が現存しており、書籍『ウルトラマン大鑑』(朝日ソノラマ刊)には、この企画書の全文およびTBS版「WOO」のサンプルストーリー「凍結アメーバー」の脚本の全文が掲載されている[要ページ番号]。 『ウルトラマン』第30話に登場する伝説怪獣ウーの名前の元にもなっている。
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