『Sentimentally Yours 』
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「パッツィー・クライン」の記事における「『Sentimentally Yours 』」の解説
1961年秋、1962年初頭に発表されるアルバムの録音のためにスタジオに入った。最初の曲はハンク・コクラン作曲の『She's Got You 』であった。コクランは最初にクラインに電話越しに歌って聞かせ、彼女はすぐに気に入った。この曲は彼女がレコーディングを楽しむことができた数少ない曲の1つとなった。1962年1月、この曲はシングルとして発表され、すぐにクロスオーヴァーでヒットしポップ・チャートで第14位、アダルト・コンテンポラリー(当時イージー・リスニングと呼ばれていた)で第3位、カントリー・チャートで2回目にして最後の第1位となった。彼女の人生においてポップ・チャートにランクインするのはこれが最後となった。 彼女の曲で『She's Got You 』がイギリスのシングル・チャートに初めてランクインし、第43位となった。1960年代イギリスで最も人気のあった女性歌手の1人であるアルマ・コーガンがカヴァーしたこの曲も有名になった。彼女が亡くなる前にイギリスで大きなヒットとなったのはスタンダード・ナンバーの『Heartaches 』のカヴァーで1962年終盤にトップ30にランクインした。 この成功の後、『When I Get Thru with You 』、『Imagine That 』、『So Wrong 』、『Heartaches 』を発表し、それほど大きなヒットとはならなかったが、トップ10または20にランクインした。 1962年終盤、ディック・クラークの『American Bandstand 』に出演し、同年8月、3枚目のアルバム『Sentimentally Yours 』を発表した。WSM-AM のインタビューで彼女の音楽スタイルについて「私はただ自分の内面を傷つけるように歌っているだけ」と語った。 ツアー公演続きで彼女はいらいらしていた。彼女は自身の子供達、ジュリーとランディの育児にもっと時間を使いたいため、度々休養を口にするようになっていた。マネージャーのランディ・ヒューズは鉄が熱い時にストライキするようなものだ(今は休養の時期ではない)と言った。 彼女が亡くなる1ヶ月前、4枚目のアルバム『Faded Love 』の録音のためブラッドリーのプレハブ小屋に再度入った。カントリーのスタンダード・ナンバーとアーヴィング・バーリンの『Always 』、『Does Your Heart Beat for Me 』などのヴィンテージ・ポップ・クラシックを織り交ぜ、これらのセッションは彼女のキャリアにおいて最もコンテンポラリーなサウンドとなった。このセッションは伝統的なカントリーの楽器を一切排除した弦楽器構成を特徴としている。彼女が亡くなる前、ブラッドリーは『Patsy 』の著者のマーガレット・ジョーンズに、彼とクラインはアルバムの曲や、クラインがファンであったヘレン・モーガンが1927年に発表した『Can't Help Lovin' Dat Man 』のようなスタンダード・ナンバーについて語り合ったと話した。 彼女は歌詞に自分の経験を織り交ぜており、最後のセッションのほとんどで彼女は泣いていたと伝えられている。『Sweet Dreams 』や『Faded Love 』の終盤では彼女のむき出しの感情が明らかに聞き取ることができる。ドキュメンタリー『Remembering Patsy 』に出演した歌手のジョン・ハワードによると、完成パーティで彼女は最初のアルバムとこの時の最新アルバムを持って「これが最初でこれが『最後』ね」と言ったと語った。
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