『草花とよばれた少女』
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「シンシア・カドハタ」の記事における「『草花とよばれた少女』」の解説
2006年出版の『草花とよばれた少女』で、カドハタは初めて日系人の強制収容の問題に真っ向から取り組んだ。1941年12月の日本軍の真珠湾攻撃の後、1942年2月19日にルーズベルト大統領が発した大統領令9066号によりカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州に住む約12万人の日系人が強制立ち退きを命じられ、内陸部の10の収容所に抑留されることになった。本作品の主人公スミコの家でも市民権をもたない一世の祖父と叔父がFBIに連行され、残された家族はタンフォラン仮収容所、次いでポストン戦争強制収容センターに移送された。この収容所は他の収容所と違い、インディアン事務局によりソノラ砂漠のコロラド川インディアン保留地に建てられたものである。劣悪な自然環境であったが、もともと花卉農家だったスミコ一家はこの砂漠でも灌漑施設を作るなどして花卉栽培に成功し、この活動を通して、当初は日系人に反感を抱いていた先住民との間に「土地を追われた者」同士の連帯感が生まれた。これを象徴的に表わすのがスミコと先住民の青年フランクとの心の絆である。反日感情が渦巻く収容所の外の世界に戻ることを恐れるようになったスミコに、フランクは自由な未来に向かって歩み出す勇気を与えるのである。 カドハタは『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌のインタビューで、この作品は父親の収容所体験に基づくものかという問いに対して、「父はポストンでの体験については何も話したがらなかった」、当時、花卉農家について本を書いていたナオミ・ヒラハラ(英語版)を介して、収容所体験をもつ4、5人の日系人に話を聞く機会を得たと答えている。さらに、『草花とよばれた少女』の読者に何を期待するかという問いに対しては、「子どもたちに第二次大戦中の収容所で実際に起こったことを理解してもらいたい」、不当な強制収容は「おそらく現在も起こっている」と語っている。 本書は、PEN/USA賞を受賞した。 カドハタは以後も次々と作品を発表し、ベトナム戦争を舞台に、特別な訓練を受け、爆弾、罠、敵などを嗅ぎ分けることのできる「米軍の最も貴重な武器の一つ」であるジャーマン・シェパード・ドッグ「クラッカー」と志願入隊したリック・ハンスキの物語『ベトナム最高の犬クラッカー! (Cracker! The Best Dog in Vietnam)』で、カリフォルニア州ヤング・リーダー賞、ノースカロライナ州児童文学賞、オハイオ・バッカイ(栃の木)児童文学賞、ネブラスカ州金の種蒔く人賞、カンザス州ウィリアム・アレン・ホワイト児童文学賞、サウスカロライナ州児童文学賞などを受賞。さらに『運に関すること』(邦題『サマーと幸運の小麦畑』)で全米図書賞(児童文学部門)を受賞した。
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