『草花とよばれた少女』とは? わかりやすく解説

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『草花とよばれた少女』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 14:31 UTC 版)

シンシア・カドハタ」の記事における「『草花とよばれた少女』」の解説

2006年出版の『草花とよばれた少女』で、カドハタは初め日系人の強制収容問題真っ向から取り組んだ1941年12月日本軍真珠湾攻撃の後、1942年2月19日ルーズベルト大統領発した大統領令9066号によりカリフォルニア州オレゴン州ワシントン州に住む約12万人日系人強制立ち退き命じられ内陸部10収容所抑留されることになった本作品の主人公スミコの家でも市民権もたない一世祖父叔父FBI連行され残された家族はタンフォラン仮収容所次いでポストン戦争強制収容センター移送された。この収容所は他の収容所違いインディアン事務局によりソノラ砂漠コロラド川インディアン保留地建てられたものである劣悪な自然環境であったが、もともと花卉農家だったスミコ一家はこの砂漠でも灌漑施設作るなどして花卉栽培成功し、この活動通して当初日系人反感抱いていた先住民との間に「土地追われた者」同士連帯感生まれた。これを象徴的に表わすのがスミコ先住民青年フランクとの心の絆である。反日感情渦巻く収容所外の世界に戻ることを恐れようになったスミコに、フランク自由な未来向かって歩み出す勇気与えのである。 カドハタは『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌のインタビューで、この作品父親収容所体験に基づくものかという問いに対して、「父はポストンでの体験については何も話したがらなかった」、当時花卉農家について本を書いていたナオミ・ヒラハラ(英語版を介して収容所体験をもつ4、5人の日系人に話を聞く機会得た答えている。さらに、『草花とよばれた少女』の読者何を期待するかという問いに対しては、「子どもたち第二次大戦中収容所実際に起こったことを理解してもらいたい」、不当な強制収容は「おそらく現在も起こっている」と語っている。 本書は、PEN/USA賞を受賞した。 カドハタは以後次々と作品発表しベトナム戦争舞台に、特別な訓練を受け、爆弾、罠、敵など嗅ぎ分けることのできる「米軍の最も貴重な武器一つ」であるジャーマン・シェパード・ドッグクラッカー」と志願入隊したリック・ハンスキの物語ベトナム最高のクラッカー! (Cracker! The Best Dog in Vietnam)』で、カリフォルニア州ヤング・リーダー賞、ノースカロライナ州児童文学賞、オハイオ・バッカイ(栃の木児童文学賞、ネブラスカ州金の種蒔く人賞、カンザス州ウィリアム・アレン・ホワイト児童文学賞、サウスカロライナ州児童文学賞など受賞。さらに『運に関すること』(邦題サマー幸運小麦畑』)で全米図書賞児童文学部門)を受賞した

※この「『草花とよばれた少女』」の解説は、「シンシア・カドハタ」の解説の一部です。
「『草花とよばれた少女』」を含む「シンシア・カドハタ」の記事については、「シンシア・カドハタ」の概要を参照ください。

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