『太宗実録』の流山国島と于山島とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『太宗実録』の流山国島と于山島の意味・解説 

『太宗実録』(1431)の流山国島と于山島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)

于山島」の記事における「『太宗実録』(1431)の流山国島于山島」の解説

1431年編纂された韓国文献太宗実録』の太宗十二年(1412年)の項に「流山国島」の名が現れるその中で江原道高城於津に漂着した白加勿らは「1160余りが、武陵島から流山国島移った流山国島は、東西南北それぞれ2息、周囲が8息で豆や麦が採れる」と観察使証言している。なお、1息は約12キロメートルであり、それによれば東西・南北それぞれ24キロメートル外周96キロメートルということになる。金柄烈は、白加勿らが生まれ育った武陵島」を鬱陵島附属竹嶼とみなし、移り住んだ本島」すなわち「流山国島」を鬱陵島比定している。「流山国島」の流山于山発音表記充てたものと考えられるが、「武陵島」を鬱陵島とみなす前提立てば流山国島」に該当する島が周囲にないことが問題になる。これに先立つ1403年太宗倭寇警戒し鬱陵島住民本土へ移住するよう命じていたため(空島政策始まり)、白加勿らは観察使質問架空の島証言したではないかという推測生むわけである。金柄烈自身は、当時にあっては鬱陵島のことが「于山国島(その転訛として、流山国島)」、竹嶼のことが「武陵島」と呼ばれるのが、むしろ自然であったとしており、于山国島は独島ではなかったとしている。 鬱陵島は、はるか海上にあるので観察使が来ることが少なく逆に兵役や税を逃れる者が本土より密かに移住したり、住民倭寇装い本土襲ったしたため1416年政府空島政策堅持する方針立てその後鬱陵島住民強制的に本土引き上げさせている。 翌年の『太宗実録』の太宗十七年(1417年)の項に于山島という名が初め現れる。そこには「按撫使の金麟于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、などを持ち帰り、3人の住民連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる」と報告しており、住人の数や戸数より上記の「流山国島」のことを表していると考えられ、この于山島鬱陵島の事を示していると考えられる。ここでは「于山武陵住民の刷出与出」が議論されており、「武陵住民は刷出せず、五穀と農器を与えて生業安定」させてほしいと請願もあったところから、金柄烈は鬱陵島本島である「于山」を先に書き属島竹嶼である「武陵」を後に書いた推測している。これについては、「按撫使の金麟于山島から還り‥‥」の部分鬱陵島傍らにある現在の竹嶼から還ったと解し、この于山島流山国島はその竹嶼だとする解釈もある。いずれにせよここでいう于山島」が現在の竹島韓国でいう独島)であるという解釈は、島の大きさ島内環境記載からみて成り立ちようがない。 「流山國島に関する原文太宗実録第二十三四 十二年○命議政府 議処流山國島江原道観察使報云 流山國島白加勿等十二来泊高城羅津 言曰 予等生長武陵島内 人戸十一 男女六十余 今移居本島 是島自東至西 自南至北 皆二息 周回八息 無牛馬水田 唯種豆一斗二十石或三十石一石五十石 竹如大海錯果木皆在 焉窃慮此人等逃還 姑分置通州高城扞城○ 翻訳太宗実録第二十三四 十二年(1412年政府の命による流山國島人について、江原道観察使は、流山國島人の白加勿ら十二名が高城羅津来泊し「私達武陵育ったが、その島の内十一戸の男女合わせ六十人余りが今この島(流山國島)に移住した。この島は、東から西までと南から北までそれぞれ二息(約24km)、周囲が約八息(約96km)、牛・馬水田はなく、唯一豆が一斗から二十石あるいは三十石、麦は一石から五十石余り採れる大垂のような竹、海と錯覚する果実木など色々ある。」と言っていると報告した。これよりこの人たちが逃げ帰るのを憂慮し、しばらく通州高城、扞城に分け住まわせた。 「于山島に関する原文太宗実録第三十三四 十七年○按撫使金麟 還自于山島土産大竹 水牛皮 生 綿子木 等物 且率居人三名以来島戸十五口男女并八十六 麟往還也 再逢颶風 僅得其生○ 翻訳太宗実録第三十三四 十七年1417年)按撫使の金麟于山島から還り土地産物大きな竹・水牛の皮・生綿子アシカ等を献上し、また島民三名率いてきた。その島の戸数はおよそ十五男女併せて八十六人。麟が行って還る時、再び嵐に遭い、何とか生き延びた

※この「『太宗実録』(1431)の流山国島と于山島」の解説は、「于山島」の解説の一部です。
「『太宗実録』(1431)の流山国島と于山島」を含む「于山島」の記事については、「于山島」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『太宗実録』の流山国島と于山島」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

『太宗実録』の流山国島と于山島のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『太宗実録』の流山国島と于山島のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの于山島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS