「鳥羽之状」事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「鳥羽之状」事件の意味・解説 

「鳥羽之状」事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 15:12 UTC 版)

王辰爾」の記事における「「鳥羽之状」事件」の解説

『日本書紀』には、敏達天皇元年572年)には、多くの史が3日かけても誰も読むことのできなかった高句麗からの上表文解読し敏達天皇大臣蘇我馬子から賞賛され、殿内侍して仕えるように命ぜられた。上表文カラスの羽に書かれており、羽の黒い色に紛れてそのままでは読めないようにされていたが、羽を炊飯湯気湿らせて帛に文字写し取るという方法解読可能にしたという「鳥羽之状」事件が記載してある。しかしながら、「鳥羽之状」事件は、「つくり話し」「当時現代中国語読み書き能力に関する説話」「書かれていることがら歴史上の事実としてはみない」という解釈通説である。正史編纂中央集権国家としての必須の事業であり、その記述国家姿勢に添って行われる『日本書紀』の記述中国倣って日本列島における小帝国であろうとした大和朝廷姿勢に添って行われた湯気にあてて読んだ云々も、その姿勢に添ったつくり話しであり、実際に多くの史たちの古い知識では書かれ漢文中古音水準漢文)が読めなかった事情反映しているというのが通説である。「鳥羽之状」事件は、つくり話しであり、おそらく国書携えた使節高句麗からきたという事実は存在したであろうが、の羽に墨で書かれ暗号という表現虚構である。 この上表文携えた高句麗使節は、前々年欽明天皇三十一年570年)に越国漂着その後都に滞在しており、国から国への外交文書読まれないまま2年間も放置されていたことになり、その事情は、欽明天皇三十二年(571年記事に、「献物併表」の奏上が行えないまま良日占って待つうち、天皇が「不予崩御」と説明されており、天皇代替わりのなかで忘れられていたとある。しかし、欽明天皇二十三年または二十一年新羅任那滅ぼしたことによる緊張のさなかに高句麗使節放置したとするならば、異常事態であり、さらに、肝心国書も、どのような用件であったのか、『日本書紀』一切記していない。それは、事件そのものつくり話しだからとみられる『日本書紀』鳥羽之状」後記事では、この高句麗大使副使らに殺されており、越国漂着した際、現地郡司に調をだまし取られ責任に関する使節間の内紛と書かれている翌年敏達天皇二年(573年記事にも、高句麗使節越国漂着したが、朝廷はこれを怪しんで饗応せずに帰らせ、さらに、その送使が高句麗使節殺害する事件書かれている。これらの事件仮託された政治的意味は、北周北斉意識して大和朝廷と手を結ぼうとする動き高句麗からあったという程度である。 「鳥羽之状」事件が象徴するのは、外国意識した漢字の使用現実的な物言いをすれば当時中国語読み書き能力問題である。すなわち、天皇大臣は、実際的コミュニケーション役立たない学問をしていると、史を責めたのであり、現代例えるなら、効率を急ぐ人が言う国文学科日本語教育をせよの類の発想である。

※この「「鳥羽之状」事件」の解説は、「王辰爾」の解説の一部です。
「「鳥羽之状」事件」を含む「王辰爾」の記事については、「王辰爾」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「鳥羽之状」事件」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「鳥羽之状」事件」の関連用語

1
30% |||||

「鳥羽之状」事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「鳥羽之状」事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの王辰爾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS