「飛ぶボール」「飛ばないボール」の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)
「ボール (野球)」の記事における「「飛ぶボール」「飛ばないボール」の問題」の解説
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%} 「ラビットボール」はこの項目へ転送されています。競走馬については「ラビットボール (競走馬)」をご覧ください。 硬式球の製造過程における何らかの要因で反発係数が上がったり、重量が軽くなることで飛距離が著しく上昇するボールは飛び跳ねるウサギに例えられ、「ラビットボール」、「飛ぶボール」などと呼ばれることがある。ラビットボールは本塁打が出やすいことで、走塁や盗塁などのプレーの重要性や観戦の醍醐味が損われるとしてしばしば批判の対象となる。 1910年の飛ぶボール MLBでは1910年のワールドシリーズに初めてコルクを芯にした飛ぶボールが使用された。このボールを使用した翌1911年シーズンでは3割打者が前年の30人から57人に増えた。 1931年の改善 飛ぶボールによって本塁打が増えすぎ、批判が起きたために1931年にはコルクをゴムで包み、投手が握りやすいように縫い目を高くする改善が行われた。 1948年 - 1950年のラビットボール イシイ・カジヤマ(ジュン石井)が製造したボール自動製造機械によって製造されたボールの通称。1948年9月にNPBに試験導入され、翌1949年から1950年まで全面的に使用された。それまでほぼ手作りだったボールが、この自動製造機械導入で精度が格段に上がった。材質面では、戦時中より粗悪品のままだったものを機械導入を期に大手毛糸会社と契約を結ぶことで、質の高いボールを製造できるようになった。材質の改良に加えて、電気乾燥機で湿気を飛ばす製造手法も反発力向上の要因となった。このボールの導入によって本塁打数が劇的に増加。この後に反発力の規定が作られた。 1978年 - 1980年の飛ぶボール 当時のミズノ社製のボールが他社のボールと比べて10数メートル飛距離が出る反発力の高いボールであったことが原因である。1978年には阪急ブレーブスが導入し、打率・本塁打数・得点数でリーグ1位を記録し、優勝した。次に、それを知った近鉄バファローズが1979年に導入し、リーグ1位の打率・本塁打数を記録して初のリーグ優勝を遂げた。 1980年にはパシフィック・リーグ3球団でチーム本塁打数が200本を超え、リーグ全体で1196本(1球団平均199.3本)もの本塁打が出た。この事態を重く見た、時のプロ野球コミッショナー下田武三の指示により、反発力テストの規定を見直した。 2000年代前半の飛ぶボール問題 2001年頃のミズノ社製のボールが他社製のボールと比べ反発係数が高く、飛距離が出やすいと言われていた。例えば、東京ドームでの1試合あたりの平均本塁打数(公式戦)は1988年は1.31本(112試合で147本)だったのに対して2004年は3.43本(76試合で261本)と本塁打率が2.6倍以上に増加していた。また、2004年、規定打席に到達した3割打者は36人(セ21人、パ15人)にものぼった。その他、2003年にミズノ社製に切り替えた横浜ベイスターズは、本塁打数を前年比95本増加させた。2004年のシーズンで中日ドラゴンズは本拠地のナゴヤドームで使用するボールの一部を対戦相手によってミズノ社製からサンアップ製(ミズノ社製のものより飛ばないとされている)に切り替えた。これらが問題視された2005年にはミズノ社が新開発した「低反発球」が巨人、横浜、ソフトバンクら8球団に採用された。その結果、2005年の総本塁打数は247本減少した。2010年には、両リーグ11球団でミズノ社製が採用されていたが、依然、他社製に比べると打球の飛距離が伸びやすいと言われている。 2010年代前半の統一球に関する問題
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