「鎖国」完成までの歴史とは? わかりやすく解説

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「鎖国」完成までの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:48 UTC 版)

鎖国」の記事における「「鎖国」完成までの歴史」の解説

鎖国体制は、第2代将軍秀忠治世始まり第3代将家光治世完成した1612年慶長17年幕領禁教令 1616年元和2年明朝以外の船の入港長崎平戸限定家康による関東西洋人居住許可否定1617年元和3年)堺において外国人鉄砲等の武器購入禁止1618年元和4年)イギリス・オランダの輸入購入先幕府のみとなる。 1620年元和6年平山常陳事件。イギリス・オランダが協力してポルトガル交易妨害し元和の大殉教に繋がる。 1621年元和7年日本人ルソン渡航禁止。イギリス・オランダに対して武器人員搬出近海海賊行為禁止命じる。 1623年元和9年イギリス業績不振のため平戸商館閉鎖1624年寛永元年スペインとの国交断絶来航禁止1628年寛永5年タイオワン事件影響で、オランダとの交易4年途絶える1631年寛永8年奉書船制度開始朱印船朱印状以外に老中奉書が必要となった1633年寛永10年)「第1次鎖国令」。奉書船以外の渡航禁じる。また、海外5年上居留する日本人帰国禁じた1634年寛永11年)「第2次鎖国令」。第1次鎖国令の再通達長崎出島建設開始1635年寛永12年)「第3次鎖国令」。中国オランダなど外国船の入港長崎のみに限定東南アジア方面への日本人渡航及び日本人帰国禁じた1636年寛永13年)「第4次鎖国令」。貿易に関係のないポルトガル人とその妻子日本人との混血児含む)287人をマカオ追放残りポルトガル人出島に移す。 1637年寛永14年)〜1638年寛永15年)の寛永年間島原の乱幕府武器弾薬オランダ援助した1639年寛永16年)「第5次鎖国令」。ポルトガル船の入港禁止。それに先立ち幕府ポルトガル代わりオランダ必需品提供できるかを確認している。 1640年寛永17年マカオから通商再開依頼のためポルトガル来航徳川幕府使者61名を処刑1641年寛永18年オランダ商館平戸から出島に移す。 1643年寛永20年ブレスケンス号事件オランダ船は日本中どこに入港して良いとの徳川家康朱印状否定される1644年正保元年中国にて明が滅亡し満州の清が李自成の順を撃破し中国本土進出。明再興目指す勢力日本支援求める(日本乞師)が、徳川幕府拒絶続けた1647年正保4年ポルトガル船2隻、国交回復依頼来航徳川幕府は再びこれを拒否以後ポルトガル船の来航絶える。 1673年延宝元年リターン号事件イギリスとの交易再開拒否以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航途絶える

※この「「鎖国」完成までの歴史」の解説は、「鎖国」の解説の一部です。
「「鎖国」完成までの歴史」を含む「鎖国」の記事については、「鎖国」の概要を参照ください。

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