「組織規約」と経済的繁栄とは? わかりやすく解説

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「組織規約」と経済的繁栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 04:16 UTC 版)

近代レバノンの歴史」の記事における「「組織規約」と経済的繁栄」の解説

1861年6月イスタンブールで「組織規約」(レバノン統治組織基本法)が署名された。この組織規約は、山岳レバノン6国イギリスロシアオーストリアフランスプロイセンオスマン帝国1867年にはイタリア署名し、7国)の保障の下に、自治権を持つ特別地域とするなど17条からなっていた。 この「組織規約に基づき山岳レバノン山岳レバノン直轄県が成立したオスマン帝国において、県は州の下位位置する行政単位であったが、山岳レバノン直轄県はどの州にも属さない政府直轄の県とされ、オスマン国籍を持つキリスト教徒で、かつ山岳レバノン出身ではないムタサッリフ(県長総督)が支配することとなった政府直轄の県とはいえ実際に総督任命に「組織規約調印国承認必要になるなど、自治独立性の高い行政組織となった一方ベイルートトリポリシドンなどの沿岸部ベッカー高原などは山岳レバノン直轄県には含まれず、引き続きシリア州の一部としてオスマン帝国直接統治下に置かれた。 初代総督として、アルメニア・カトリックを信仰するダウド・エフェンディがフランス推薦任命された。ダウドは、レバノン効率的な官僚組織もたらす同時にベイト・エッディーン政府印刷所作りレバノン最初官報発行させた。ダウド改革は、宗派間の衝突急速に沈静化させることには成功したが、それは山岳レバノン北部マロン教徒南部ドゥルーズ勢力圏とすることで、対立の構図固定化する形での解決でもあった。その意味ではこの「組織規約」における改革は、マロン教徒政治的な優位占めたという相違点はあるものの、1842年行政改革方向性引き継いだのであると言えるまた、文化的覚醒フランスの支援受けて発展した産業中心にレバノンは、経済的繁栄遂げた加えて総督制は、山岳レバノン自治保障するものであり、キリスト教徒利益かなっていたが、この政治的経験は、首長国時代には保有していたベッカー高原ベイルートトリポリシドン回復主張するようになっていく。この大レバノン主義は、キリスト教徒優位であった状態が将来的には覆る結果となる(これら4地域併呑した場合人口構成著しく変化しムスリム多数派になる)。このことが、国家としてのレバノン政治的脆弱性内包することになった

※この「「組織規約」と経済的繁栄」の解説は、「近代レバノンの歴史」の解説の一部です。
「「組織規約」と経済的繁栄」を含む「近代レバノンの歴史」の記事については、「近代レバノンの歴史」の概要を参照ください。

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